ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第269話 1988年伊豆箱根(大雄山):足柄に集う旧国の末裔たち

大雄山線と言えば、かつては雑多な旧型国電の巣窟でしたが、1974年~1976年にかけて相模鉄道から2000系が導入された以降は、さほど変化もなく地味な存在でした。しかし、バブル期になるといよいよ新車の導入が始まり、慌てて大雄山に出向きました。

 

1.モハ163、モハ165 (大雄山:1988年10月)

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 モハ160形、クハ180形は、1974年~1976年に導入された元相模鉄道2000系で、MMT3連が3編成在籍しました。従来、大雄山線は同社の駿豆線で使用されたお古の再雇用の場でしたが、この車両は駿豆線には入らずに直接大雄山線に配属されました。

 

2.モハ163+モハ164+クハ185+モハ66 (大雄山:1988年10月)

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  1988年当時のモハ160形、クハ180形の編成は下記の通りです。
・モハ161+モハ162+クハ186(1974年入線)
・モハ163+モハ164+クハ185(1975年入線)
・モハ165+モハ166+クハ187(1976年入線)

 

3.クハ186+モハ162+モハ161 (大雄山:1988年10月)

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しかしながら、このモハ160形(注1)、クハ180形(注2)はかなりの強者です。見た目は同じような車両ですが、これは相模時代に形態の統一化(車体更新)がなされた結果であり、元々は生い立ちも形態も全く異なる車両の寄せ集めでした。

 

4.モハ165+モハ166+クハ187 (塚原~和田河原:1988年10月)

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 (注1)モハ160形の車歴
大雄山モハ161←相模モハ2025←国鉄クモハ11471←国鉄モハ50089:1940年大井工場製(←国鉄モハ10073←国鉄モハ63171:1925年日本車輌製)
大雄山モハ162←相模モハ2006←相模モハ1303←国鉄モハ30133:1927年汽車会社製
大雄山モハ163←相模モハ2021←国鉄クモハ11084←国鉄モハ30202:1928年汽車会社製
大雄山モハ164←相模モハ2007←相模モハ1304←国鉄モハ30066:1930年汽車会社製
大雄山モハ165←相模モハ2024←国鉄クモハ11109←国鉄クモハ11043←国鉄モハ30145:1927年田中車輌製(名義上は、相模クハ2510であるが、相模モハ2024と車体振替実施。)
大雄山モハ166←相模モハ2010←相模モハ1308←国鉄モハ50013:1936年大井工場製(←国鉄モハ10106←国鉄モハ63204:1926年日本車輌製)

(注2)クハ180形の車歴
大雄山クハ185←相模モハ2509←国鉄クハ16106←国鉄クハ38056←国鉄モハ30016:1926年川崎造船
大雄山クハ186←相模モハ2026←国鉄クモハ11467←国鉄モハ50081:1939年大井工場製(←国鉄モハ10078←国鉄モハ63176:1925年日本車輌製)
大雄山クハ187←相模クハ2510←国鉄クハ16156←国鉄クハ38108←国鉄モハ30166:1928年川崎造船製(名義上は、相模モハ2024であるが、相模クハ2510と車体振替実施。)

 

 5.モハ165+モハ166+クハ187 (飯田岡~相模沼田:1988年10月)

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 モハ160形、クハ180形のような百戦錬磨の譲渡車は、どこまで車歴を遡ればよいのかいつも悩みます。認可上の名義となる車両を起源とするのが建前でしょうが、鋼体化や戦災復旧を新製として、それ以前をリセットしているケースが多々あります。どこまで部品を流用しているのかにも依りますが、本当の起源を探るのは大変です。

 

6.モハ65+サハ83+モハ64 (大雄山:1988年10月)

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 弘南鉄道同様に大雄山線でも "車歴の呪縛” に掛ってしまいそうです。

モハ160形、クハ180形だけでも参ってしまいそうですが、大雄山線にはこれ以外にも厄介な車両がいました。この車両については後ほど・・・・。