ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第169話 1985年下津井 瀬戸大橋建設の頃(その3)

この日の下津井電鉄は悲惨なほどすいていました。

列車は単行でも走らすのがもったいないくらいです。ところでそんな下津井電鉄も児島競艇の開催日は3連が必要でした。そのために普段は走らない3連を保有していました。

 

 1.モハ102+サハ2+クハ22 (下津井:1985年12月)

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 その3連が、モハ102+サハ2+クハ22(注1)です。

残念ながら、この3連の走行を撮影することはできませんでした。しかもまともな形式写真も撮れませんでした。3連は図体が大きく、いつも狭い車庫の隅っこに突っ込まれていました。

 

2.モハ102+サハ2+クハ22 (下津井:1985年12月)

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 この3連は当初はバラバラでした。モハ102とクハ22は、クハ23(後のモハ1001)と同時期に製造され、モハ102は両運車でしたが、1939年に片運化され、クハ22、サハ3と3連化されました。その後、茶屋町~児島間の部分廃止時に中間車をサハ3からサハ2に交換しました。当初は3連の需要も結構あったのでしょうが、その後は競艇輸送のために残ったようなものです。 

中間車となったサハ2は元栗原電鉄のモハ1402でした。栗原電鉄が改軌により不要となったものを1956年に譲受してサハ化したものですが、新車名義です。当初は元気動車改造のモハ104、クハ8と3連を組みましたが、部分廃止時にモハ104、クハ8が廃車となり、その際にサハ3と交換されてモハ102、クハ22と3連を組みました。

 

3.クハ22+サハ2+モハ102 (下津井:1985年12月)

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  (注1)モハ102+サハ2+クハ22の車歴
・下津井モハ102:1954年ナニワ工機
・下津井サハ2←栗原モハ1402:1950年日本鉄道自動車製(1931年自社新製名義)
・下津井クハ22:1954年ナニワ工機

 

4.下津井の“お宝”クハ5 (下津井:1985年12月)

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 クハ5は保存車両で、元気動車改造の制御車でした。右側の偏心台車が元動力台車の名残です。

かつて非電化路線だった下津井電鉄には、気動車改造の電車が多数存在していましたが、路線短縮時にほとんどが廃車となり、残ったクハ5,6もその後すぐに廃車となりました。幸い2両とも保存され、クハ6は同社系列のドライブイン長船に、クハ5(注2)は写真の通り、下津井構内に保存となりました。

 

5.下津井の“お宝”クハ5 (下津井:1985年12月)

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 この時点、クハ5は下津井駅の使用されないホームに露天展示されており、状態が怪しくなっていました。

(注2)クハ5の車歴

・下津井クハ5←下津井カハ5:1931年日本車輌

 

6.ホトフ3 (下津井:1985年12月)

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下津井には開業時の貨車が数両残っていました。このホトフ3はアーチバー台車を履いたバファーリンク付きの無蓋車で、見えにくいですが、後方にブレーキハンドルが付いています。当時は保線用に残されていましたが、大正2年生まれの長老です。

 (注3)ホトフ3の車歴

・下津井ホトフ3:1913年清水鉄工所製

 

7.元井笠ホジ3(下津井:1985年12月)

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 下津井構内の廃車展示場には元井笠鉄道気動車ホジ3がいました。この車両は部分廃止区間のレール撤去に使用するため、その頃廃止となった近所の井笠鉄道から購入したものです。本家の井笠鉄道にも完全な状態で保存された同型車はおらず、貴重な存在となっていましたが、露天にさらされて少々状態が悪くなってきました。とりあえずタッチアップ塗装されていましたが、色がちょっと違います。

 

この時点の下津井は、もう廃止されそうな雰囲気でしたが、この後瀬戸大橋の開通に合わせて観光化されて行きます。しかしそれも最初のうちで、やはり廃止となる運命でしたが、廃止前の状況は改めて報告します。