ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第170話 1985年片上 鉱山鉄道の衰退

1985年の年末は下津井電鉄と併せて片上鉄道にも訪問しました。

片上鉄道には1982年にもちょっとだけ立ち寄ったので、3年ぶりの訪問ですが、この時は腰を据えて2日間かけて走行写真を撮りました。

 

1.中山駅の日の出 (中山:1985年12月)

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 この日は岡山駅前で前泊して、岡山発の山陽本線始発電車で和気に入りました。そしてまだ暗い夜道を中山に向けて歩きました。この写真は中山駅で迎えた日の出です。神々しい雰囲気に写真を撮ってしまいました。この辺りは瀬戸内といっても山に囲まれた盆地のような地形なので、晴天の放射冷却で気温は氷点下まで下がりました。

 

2.片上行きの混合列車 (和気~中山:1985年12月)

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 この日最初の列車撮影は、片上行きの混合列車でした。

機関車の牽く混合列車は、コンテナにワムが連結されその後ろに客車2両と回送気動車が1両ぶら下がる長大編成でやって来ました。機関車側の写真はファインダーに入り切らず、初っ端から大失敗でしたが、見送り写真はご覧の通り何とか撮影できました。しかし、まだ列車には陽が射さず、早朝から頑張った割にイマイチの出来です。

写真は一面の霜です。地表が冷えて後方の山には朝もやがかかっています。とにかく寒い朝でした。

 

3.キハ702 (中山~和気:1985年12月)

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陽が登ると絶好の写真日和になりました。やってきたのは元国鉄キハ42000系のキハ702(注1)です。前照灯の腰部移設とシールドビーム2灯化、前面窓の1段下降化など、片上オリジナルの改造を受けていますが、原型の前面6枚窓卵型流線形は維持され、貴重な存在でした。 この車両は1967年に国鉄から譲受されましたが、国鉄時代にトルコンの試験車両に抜擢されたことから、国鉄機械式気動車の形式だったキハ07形を名乗るトルコン車だったので、そのままトルコン車として片上に入線しました。片上鉄道には同型のキハ700形が3両在籍しましたが、他の2両はすでに亡く、原型で現役最後の車両でした。ちなみにキハ701は1972年に水島臨海に譲渡されてキハ321となりましたが、その写真を第20話で紹介しています。

(注1)キハ702の車歴

片上キハ702←国鉄キハ075←国鉄キハ42504←国鉄キハ42014:1936年日本車輌

 ※国鉄キハ42014は国鉄時代にキハ42029(1936年川崎車輌製)と車両が振替えされていた。

 

4.キハ303 (中山~和気:1985年12月)

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 続いて同じ場所にやって来たのは、元国鉄キハ41000系のキハ303です。この車両も前照灯の腰部移設とシールドビーム2灯化、前面窓の1段下降化、窓枠のアルミサッシ化など、片上オリジナルの改造を受けています。キハ300形は元国鉄キハ41000系の払い下げグループと自社発注のグループで構成され、かつては6両在籍していましたが、1985年時点で元キハ41000系のキハ303と自社発注のキハ312の2両になっていました。写真のキハ303は当時片上で一番古い車両でしたが、一番調子が良かったようです。キハ303の車歴については、第18話をご覧下さい。

 

5.キハ801 (中山~和気:1985年12月)

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 この時初顔合わせとなったのが、キハ800形(注2)でした。この車両は同系列の同和鉱業小坂鉄道から1981年にキハ2108と1984年にキハ2102を移籍したものです。移籍にあたり特に改造はなく、クロスシートはそのまま使用されました。また、この車両は言わずと知れた日車の標準型気動車です。小坂でもピカイチの存在でしたが旧態然としていた片上の気動車の中ではかなりデラックスな車両でした。

(注2)キハ800形の車歴

・片上キハ801←小坂2108←小坂2104:1962年日本車輌

・片上キハ802←小坂2102:1962年日本車輌

1980年代小坂鉄道は路線短縮や旅客の減少で気動車が余剰となっていましたが、ちょうど片上鉄道の老朽化した気動車の置き換えが合致し、片上は気動車を2両もらう代わりに機関車1両を手放し、トレードが成立しました。

 

6.キハ303 (和気:1985年12月)

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 この日は午前中、中山付近で撮影を行い、片上の車庫を訪問し、午後は柵原方面に向かいました。