ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第379話 1989年小坂:みちのくの気動車を求めて(その4)

この日は早朝から雨の津軽鉄道を訪問しましたが、引き続いて小坂鉄道です。

五所川原を9:28の列車に乗り、弘前から特急いなほ号に乗り換え、大館に到着したのは11:08でした。

大館からは12:00発の小坂鉄道で小坂に向かいました。

 

1.小坂鉄道大館駅 (大館:1989年5月)

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 小坂鉄道の訪問は、1986年3月以来です。その時の様子は第67話をご覧ください。

前回は、大館の乗り換え時間がありませんでしたが、今回は1時間ほどあったので、大館駅近辺を散策しました。小坂鉄道の大館駅は往年の名残でかなり広い構内を有していましたが、この頃は鉱石列車も減り、閑散としていました。

 

2.キハ2106 (大館:1989年5月)

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 長いホームには小坂行の気動車が1両だけ止まっていました。 車両は言わずもがなのキハ2100形で、前回訪問時から車両陣容は変化していませんが、1988年に5両のうち3両がワンマン化されました。

 

3.キハ2106 (大館:1989年5月)

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この車両は、日車標準形の私鉄向け気動車です。白帯がなければ関東鉄道のキハ800形と見分けがつきませんが、外観上の違いは、前面窓上の通気孔と貫通路腰部の柵がなく、幌枠が付いており、台車がコイルばねである程度でしょうか。白帯が車体を引き締め、昭和30年代製としては、なかなか良いデザインです。

 

4.キハ2106 (大館:1989年5月)

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 乗客も減少して、普段は単行運転のみの2列車運用なので、3両あれば十分ですが、ワンマン化されなかった2両は予備車として残存しました。かつては、輸送需要が減り、余剰となった気動車を同系列の片上鉄道に2両転籍した経緯もありましたが、今度は片上鉄道も廃止になりそうで、車両を受け入れる状況ではありませんでした。

 

5.キハ2106 (小坂:1989年5月)

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 この日は天気も悪く、最初から走行撮影は諦めており、とりあえず12時の列車で小坂に向かいました。

 

6.保存車11号機+ハ1 (小坂町郷土館:1989年5月)

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 今回の小坂訪問の目的は、気動車の現状把握と小坂郷土館に保存されていたナロー時代の車両を改めて観察するためでした。

前回の訪問時は郷土館は閉館しており積雪もあったので、まともに保存車両を見ることができませんでしたが、この時は郷土館も開館しており、保存車の車内まで見学できました。

 

7.保存車ハ11+1号機 (小坂町郷土館:1989年5月)

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 お目当てはこのハ11です。半室貴賓車となっており、貴賓室も復元されており必見です。

本当にこんな車体色だったのか?疑問はありますが、貴賓室内の復元はたいしたものです。これらの保存車両は、場所を小坂駅跡に移転して現在も保存されています。

 

8.保存車ハ11の車内 (小坂町郷土館:2002年8月)

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この写真は、2002年にプライベートで東北を旅行した際に、小坂に立ち寄り撮影したものです。車内が狭く、広角レンズで撮影したので画面が少し歪んでいます。この車内は保存車ハ11の貴賓室側を撮ったものです。仕切りの向こうは3等室です。半室合造の狭い車内ですが、座席には模様が入った高級そうな生地が使われており、袖部にも生地が張られています。そして、折り畳み式のテーブル、窓のカーテン、仕切り面の鏡などなど、製造当時はかなり奮発した凝った造りだったのでしょう。床の赤いジュータンは本当にあったのかわかりませんが、となりの3等室にはありませんでした。