ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第171話 1985年片上 鉱山鉄道の衰退(その2)

中山付近で撮影後、片上の車庫に向かいました。

片上鉄道には1977年から何回か訪問していましたが、いつも和気~柵原間を乗車するだけで、自分でも意外でしたが片上の車庫訪問はこの時が初めてでした。

 

1.キハ303 (片上:1985年12月)

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 この日は年末で鉱石列車もなく、片上機関区は閑散としていました。

一運用を終えたキハ303が、ちょうど良い場所で休んでいました。一時期省力化で手抜きされていた車体塗装が、新たに赤ベースの新色で復活しました。まだ塗り立てホヤホヤです。この当時、片上鉄道以外で元国鉄キハ41000形気動車が残っていたのは筑波鉄道鹿島鉄道ですが、いずれも廃車寸前のボロボロ車両で、こんなにきれいな元国鉄キハ41000形を拝めたのはラッキーでした。

 

2.キハ303 (片上:1985年12月)

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 キハ303は窓枠もアルミサッシ化されており、まだまだ安泰のようでした。実際、路線が廃止になるまで調子良く使用され、現在も動態保存されています。

 

3.片上構内の全景 キハ303、DD555他 (片上:1985年12月)

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 片上には車庫と鉱石を荷下ろしするカーダンパー設備がありました。柵原で産出された鉱石は片上鉄道の鉱石列車でここまで運ばれ、ここから船積みされます。この写真の右側はすぐ瀬戸内海で、ここは片上港の一画でした。

 

4.キハ303、DD555 (片上:1985年12月)

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 この頃の片上鉄道は、在籍車が気動車5両、ディーゼル機関車4両、客車6両でしたが貨車は肥料輸送用のワム1800形が10両、トキ1500形が10両と、鉱石輸送用のトム500形、トラ800形が100両以上いました。

 

5.DD555 (片上:1985年12月)

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 片上鉄道のディーゼル機関車はDD13形(注1)と称し、全て国鉄DD13タイプでしたが出力が600PSにアップされたものでした。車体色も国鉄色モドキでしたが、赤色部分は国鉄色より淡いピンク色でした。1965年~1968年に5両が新製導入されて無煙化されましたが、最終増備のDD13-556は1978年に小坂鉄道へ転籍しました。

 

6.DD552 (片上:1985年12月)

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 (注1)DD13形の車歴

・片上DD13-551,DD13-552:1965年日本車輌

・片上DD13-553,DD13-555:1967年日本車輌製(554は欠番、556は小坂へ転籍)

DD13形は553号以降、ラジエーター構造が変更された関係で、ボンネット先端形状が異なり、車体長も少し長くなりました。

1985年時点ではまだ鉱石輸送も行われていましたが、鉱石輸送は1987年にトラック輸送となり、以降は吉ヶ原~片上間の肥料輸送と、和気~片上間のコンテナ輸送だけになってしまいます。