ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第468話 1991年近江:最強の車歴の呪縛(その2)

近江鉄道電気機関車は奇跡的に原型を留めており、骨董品ばかりでしたが、車歴は大変素直でした。全ての車両がこんな調子なら問題はありませんが・・・

 さて、ここから旅客車両です。

 

1.LE14 (彦根:1991年9月)

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この頃、電化されている近江鉄道気動車がいました。それも普通の気動車ではなく、LE10形(注1)と言う2軸のレールバスです。これは、閑散路線の経費節減のために導入された富士重工が開発したLECarなる三セク向けの新型レールバスで、近江鉄道が乗客の減少が著しい八日市~貴生川間の閑散時間帯に走らせるために1986年に4両新製したものです。しかし、閑散路線とは言えこの車両ではあまりにも輸送力が小さすぎるので、徐々に電車に戻ってしまい、1996年にはレールバスは撤退してしまいました。

(注1)LE 10形の車歴

・近江LE11~14:1986年富士重工

しかしながら、この程度の車両で事足りるのであれば、鉄道をやめて普通のバスでも十分なわけですが、走らせた結果が輸送力不足だったとは、過去、昭和30年代に国鉄が閑散路線に投入して失敗したレールバスの二の舞だった?様にも思えます。時代は繰り返すと言いますが、正しく繰り返されていました。余談ですが、同じ頃、大手の名鉄も閑散路線の足切りに踏ん切りがつかなかったのか、2軸のLECarを投入しましたが、こちらも輸送力の問題から2軸車をやめてボーギー車のLECarに変更した経緯がありました。結局名鉄はLECarの走る路線をその後廃止してしまいましたが、近江鉄道はLECarを電車に戻したあとも、現在まで辛うじて運行を続けています。しかし現状はかなり厳しいようです。

 

2.クハ1215、モハ9 (彦根:1991年9月)

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ここから いよいよ本題の電車です。

1991年当時の近江鉄道の電車は、運用されている車両は見た目新しい?車両ばかりでした。ゆえに面白くなく、それまでは出向いて撮影する気もありませんでした。が、しかし、この一見新しい?車両が認可上とんでもない過去を背負っていることを知り、興味津々その車歴を調べ始めたのが悪夢の始まりでした。

この写真は、左がクハ1215+モハ132、右がモハ9+クハ1208です。共にサボ受けには✖印が付いており、すでに運用離脱車になっていました。

モハ9+クハ1208の方は外観が旧態然としていますが、車体は元西武クハ1214,1215を流用したものです。ただし、クハ1214,1215のどちらがモハ9になったのか不明だそうです。また、モハ9(注2)は認可上電化時に導入したデハ1の改造名義とのことで、このデハ1は宇治川電気1の車体を流用した新車モドキだったそうです。一方、モハ9の相棒であるクハ1208(注3)はここで説明できる代物ではなく、遡れば近江鉄道開業時の明治時代のマッチ箱客車の名義を引き継ぐ、車歴的にはとんでもない厄介ものです。なお、モハ9+クハ1208の編成は1990年に廃車になっており、明治時代の名義もここまででした。

(注2)モハ9の車歴

・近江モハ9←近江デハ1:1928年川崎造船製(車体:←宇治川電気No.1←神姫No.1:1923年川崎造船製)

(注3)クハ1208の車歴

・近江クハ1208←近江ハ1208←近江フホハユニ33←近江フホハ33←近江フホハユ2←近江は2←近江は3Ⅱ,近江は4Ⅱ←近江は4,近江は5:1898年福岡鉄工所製

 ※クハ1208の認可上の名義は明治時代のマッチ箱2軸客車である、「は4」、「は5」の2両が起源です。この2両を接合してボギー車化した経緯がありますが、接合前の各車の改造名義を引きずっています。驚くことに、これと同様な改造名義の車両が他にも結構いました。

 続いて、左のクハ1215+モハ132は外観が角ばった湘南スタイルで、さほど古くなさそうですが、これも新製した車体に載せ替えた西武時代の名義を引きずる長老です。この2連は、131系と称し、もう1編成クハ1214+モハ131が在籍していました。また、この湘南スタイルの車体は1961年に更新されたもので、131系(注4)から採用され、その後1系の車体更新にも踏襲され、近江型湘南スタイルを確立しました。

モハ132はモハ131と共に1949年に西武鉄道から借入を経て譲渡された、元西武モハ132,131です。一方クハ1215は、クハ1214と共に1950年に西武鉄道から譲渡された木造車の元西武クハ1204,1203ですが、鋼体化されてモハ132と同じ近江型湘南スタイルとなりクハ1215、クハ1214と改番されました。

 (注4)131系の車歴

・近江モハ131←西武モハ131:1925年汽車会社製

・近江モハ132←西武モハ13:1925年汽車会社製2

・近江クハ1214←近江クハ1203←西武クハ1203:1922年梅鉢鉄工所製

・近江クハ1215←近江クハ1204←西武クハ1204:1922年梅鉢鉄工所製

なお、131系は1991年時点で運用離脱して彦根構内に留置されていましたが、その後正式に廃車されたのはクハ1215のみで、モハ131は1993年竣工のモハ801、モハ132は1995年竣工のモハ225、クハ1214は1993年竣工のモハ1801へ車歴が引き継がれました。

モハ800形、1800形は元西武401系そのものですが、誰が見ても昭和30~40年代の電車です。改造名義とは言え、これを明治時代の電車で申請する方も認可する方もどうかと思います!!

 

3.モハ2 (彦根:1991年9月)

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 131系に続いて、近江型湘南スタイルに車体更新されたのが、1系(注5)です。1系はモハ1~6、クハ1213,1218~1222のMT2連が6編成在籍しました。

モハの方は、モハ9同様に、名義上は電化時に新製されたデハ1形を鋼体化したものですが、デハ1形は宇治川電気1の車体を流用した新車モドキでした。

クハの方はクハ1221、1222の2両だけが、この湘南スタイルで自社製造された新車扱いでしたが、これ以外は、元西武クハ1250形の車体を流用した木造車を鋼体化したものですが、その名義はこれもまた、マッチ箱2軸客車を接合したどうしようもない車歴を引きずっていました。

(注5)1系の車歴

・近江モハ1~6←近江デハニ9,2,3,8,5,6←近江デハ9,2,3,8,5,6:1928年川崎造船(車体:←宇治川No.9,2,3,8,5,6←神姫No.9,2,3,8,5,6:1923年川崎造船製)

・近江クハ1213←近江ハニ1Ⅱ←近江ホハフ3←近江キハ2←八日市キハ2(気動車化)←八日市キハ2←八日市キロハ2(蒸気動車):1913年汽車会社製

・近江クハ1218←近江クハ1209←近江ハ1209←近江フホハ28←近江フホハ4←近江は4←近江は8Ⅱ,近江は9Ⅱ←近江は13,近江は15:1900年福岡鉄工所製

・近江クハ1219←近江クハ1210←近江ハ1210←近江フホハ29←近江フホハ5←近江は5←近江は10Ⅱ,近江は11Ⅱ←近江は18,近江は20:1900年福岡鉄工所製

・近江クハ1220←近江クハ1211←近江ハ1211←近江フホハ27←近江フホハ1←近江ハ3:1914年加藤車輌製

・近江クハ1221,1222:1966年近江鉄道自社製

 

4.モハ5 (彦根:1991年9月)

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 しかしこの電車の名義が明治製だろうが大正製だろうが、まったく非現実的です。実態はこの近江型湘南スタイルとなった1960年代の昭和製です。

<1系の編成>

モハ1+クハ1213、モハ2+クハ1222、モハ3+クハ1220

モハ4+クハ1219、モハ5+クハ1221、モハ6+クハ1218

なお、1系も例によって下記の通り、次世代の車両に名義が引き継がれました。

モハ1は1998年竣工のモハ802、モハ2は2000年竣工のモハ1805、モハ3は2000年竣工のモハ1806、モハ4は1999年竣工のモハ804、モハ5は1999年竣工のモハ803、モハ6は1998年竣工のモハ701.

クハ1213は1998年竣工のモハ802、クハ1218は1998年竣工のモハ1701、クハ1219は1999年竣工のモハ1804、クハ1220は2000年竣工のモハ1806、クハ1221は1999年竣工のモハ1806、クハ1222は2000年竣工のモハ1805。

上記以外にも、今回は登場しませんでしたが、2連で貫通タイプの更新車である500系や元岳南の両運車100形なども、次世代の車両に名義が引き継がれましたが、それらの当時の実態は改めて報告します。

 さて、

近江鉄道の車歴解明は、一筋縄ではいきません。ネットや手持ちの古い文献などひっくり返して調べましたがいい加減疲れました。いろんな情報がありますが、どれを信じて良いものか?残念ながら信憑性には自信がありません。

こんなことを調べて、いったい何の役に立つものか?それを考えると、やるせなくなりましたが、ともあれ、この複雑な車歴をダラダラ書き綴ったところで、まともに読んで理解してくれる人もいないでしょう。

 近江鉄道のように長い歴史の鉄道でこの様に複雑な車歴を理解するには、個々の車両の車歴よりも、体系的な移り変わりを理解しないと、わけが分かりません。どうすれば、車歴をわかりやすくできるのか、悩んだあげく、車歴を変遷図的にまとめてみましたので以下ご参照ください。

なお、最近導入された元西武鉄道の新101系、301系種車とした、100形Ⅱ、900形の車歴は除きます。

ところで、以下の元データは、諸先輩方の車歴調査結果をベースにしていることは言うまでもありません。特に近江鉄道黎明期の2軸マッチ箱客車や蒸気動車などの車歴を解明し、鉄道ピクトリアルの私鉄車両めぐり83(1970年No.239,240 )に執筆された、白土貞夫さんには頭が下がります。近江鉄道開業から1970年頃までの車両の変遷は白土さんの記事をそのまま活用させて頂き、それ以降をフォローさせて頂きました。

 

<<近江鉄道の開業時から2000年頃まで在籍した旅客車両の車歴総括>>

※文字が小さいので拡大してご覧ください。

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 上図に誤記があればご指摘願います。最近は視力が低下し、文字が小さいので誤変換があるかも知れません!!それから、上図の黄色いマーカー部(不明箇所)について、情報をお持ちの方は、ご教示願います。

しかしながら、この変遷図の作成にはパワーを要しました。このパワーを単なる道楽ではなく、世のため人のために、何かに役立てたいですね。