ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1096話 1996年近江:避けて通れない車歴の呪縛(その2)

さて、スズメ蜂から逃れましたが、遺跡発掘は続きます。留置車両は数珠つなぎ状態で、極めて撮影し辛い状況ですが、幸いところどころ離れて置かれていました。今度は撮影できそうな電車探しですが、広角レンズが欲しいところです。

 

1.旧モハ103? (彦根:1996年11月)

まずは、旧モハ100形です。この電車は元岳南鉄道の車歴上は古い車両です。車体は岳南時代に日本車輌製の地方私鉄標準車体に載せ替えられました。岳南から1983年に同型車両が3両移籍し、モハ100形(注1)となりました。当初から多賀線や閑散時の単行用に使用されてワンマン化もされましたが、モハ220形の登場で1993年~1996年に運用離脱となりました。しかし、この車両の車歴は一部のモハ220形に引き継がれたため、本来はもう存在しないはずの幽霊車両でした。

 

2.旧モハ103? (彦根:1996年11月)

ところで、ここで困ったことが・・・この写真2のモハ103ですが、写真1のモハ103と同じ日に撮影したものです。同じ車号が2両存在??これはどういうことか?何か知ってはいけない理由がありそうな・・・。実は、撮影当日は気付きませんでした。この日の留置車両のメモを見ると、確かにモハ103が2両!!。モハ101は写真1のモハ103と連結されていました。よって、この2両のモハ103のうち、どちらかが恐らくモハ102のはずです。モハ102はモハ224に名義を譲るために1994年に除籍されて幽霊車両になりましたが、モハ224には何も機器を譲らず五体満足な幽霊車両でした。もしかして、モハ103の影武者としてこっそり走っていたのか?・・・良からぬ想像が・・・やはりミステリーな幽霊車両です。

(注1)モハ100形の車歴

・近江モハ223←近江モハ101(1993年除籍)←岳南モハ1106(1963年日車標準車体化)←岳南モハ38←駿豆モハ38:1951年駿豆鉄道製

・近江モハ224←近江モハ102(1994年除籍)←岳南モハ1103(1961年日車標準車体化)←岳南モハ101←駿豆モハ101:1935年駿豆鉄道製(←国鉄モニ3012←国鉄デニ6461←国鉄デハ6372←国鉄デロハ6138:1914年鉄道院新橋工場製)

・近江モハ226近江モハ103(1996年除籍)←岳南モハ1101(1959年日車標準車体化)←岳南モハ201←国鉄モハ204←伊那デハ204←伊那デ204:1923年汽車会社支店製

モハ100形の岳南時代以前の車歴は非常に複雑です。しかし、そんな車歴を全く関係ないモハ220形が引き継いでいます。少なくとも、モハ100形からモハ220形に流用された機器はありません。鉄道車両の認可とは、こんなにもいい加減なものなのか?

 

3.この日の彦根構内の留置車両配置図

ちなみに、この日の彦根構内の留置車両配置を上図に示します。青字で表記しましたが、モハ103が2両います。最初はメモの誤記ではないかと思っていましたが、写真が誤記ではない証拠となりました。また、この時点で821編成と822編成が完成しており、認可待ちの様でした。そして、検修庫内には改造中の802編成がいました。

 

4.ED315 (彦根:1996年11月)

気を取り直して発掘を続けます。留置線の一番奥にはED315が草むらに放り出されていました。ED31形は5両在籍しましたが、このED315は一番早く1990年に廃車となり、それから放置されていました。廃車なので幽霊ではなく、死骸と言ったところです。なにか足りない気がしましたが、ナンバープレートが外されていました。しかし、廃車とは言え、なぜか状態は良さそうで、もしかして動くかも。

 

5.モハ9+クハ1208 (彦根:1996年11月)

廃材置き場近くには、古めかしいモハ9+クハ1208が、廃材に埋もれていました。この車両は前回訪問の1991年からここに居座っていましたが、実は1980年に運用離脱して保留車となり、それからここに居座っていた様です。ところで、この車両の車歴も真面目に語れません。特にクハ1208は困った過去を引きずっています。興味のある方は、第468話をご覧下さい。

 

6.モハ9 (彦根:1996年11月)

やはり、近江の車両を話題に挙げると車歴の話題を避けて通れません。その車歴は思い出すだけで、眠れなくなるほどヘビーな呪縛です。

 

7.モユニ11 (彦根:1996年11月)

そして、廃材置き場にはもう1両廃車体が・・・。これは近江鉄道最後の郵便車となったモユニ11(注2)でした。この車両は郵便輸送の廃止となった1985年に失業し、その後放置されていましたが1990年に廃車され、その後も放置され続けました。しかし、この電車は1981年までは旅客車のモハ204でした。これも遡ればとても困った車歴の持ち主でした。

 

8.モユニ11 (彦根:1996年11月)

(注2)モユニ11の車歴

・近江モユニ11←近江モハ204←近江クハ1212←近江フホハ26←近江フホロハ4←近江イ4:1914年加藤車輌製

モユニ11は遡れば大正時代の木造ボギー客車でした。しばらく客車時代が続き、1956年にクハ1212に出世し、その後西武クハ1203の車体を経て鋼体化されました。モハ204は元京王デハ1707の車体を流用してクハ1212から改造名義で1973年に登場しました。しかし、その奇怪な遍歴もモユニ11の廃車で結末となりました。