ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1095話 1996年近江:避けて通れない車歴の呪縛

今回は5年ぶりとなる1996年の近江鉄道の訪問です。ずいぶん間が空いてしまいましたが、その理由は実質的に古い車両がなかったからです。しかし、前回第467話 、第468話でお伝えした通り、近江鉄道の車両は認可上の車歴がとんでもないことになっており、1996年当時にはまだ明治時代のマッチ箱客車の車歴を引きずる車両が存在していました。それはさておき、今回の訪問は彦根構内に眠る除籍車両の「お宝発掘」が目的でした。

 

1.留置車両群 (彦根:1996年11月)

前回1991年の訪問時は、夜行バスで疲れていたため、彦根構内の表に出ている車両をサラッと撮影しただけで、奥の方に留置されていた車両まで深入りしませんでした。しかし、その奥の方にはお宝が埋没しており、それ以来ずーっと気になっていました。ところが、1系などの近江型湘南電車がいよいよ引退することになり、その置き換えとして西武401系が大挙して近江鉄道に送り込まれました。よって、埋もれていたお宝が追い出されてしまう恐れが発生し、これは一大事と、彦根を目指しました。

 

2.留置車両群 (彦根:1996年11月)

彦根には既に元西武鉄道の401系が留置されていました。しかしながら、ここに並んでいる面々の灰汁の強さが、なんとも近江らしさを物語っています。そしてこの一帯は、お宝たっぷりの遺跡さながらです。早速発掘に向かいます。獣道と化した犬走を進むと・・・

 

3.ED143 (彦根:1996年11月)

まずはED143です。近江にはED14形が4両いました。すでに全車失業状態でしたが、4両共車籍を有しており、この遺跡に眠っていました。デッキの✕印は休車を意味するのか?。もう晩秋ですが、今年の夏をここで過ごしたのか、足回りには蔦が絡まっています。

 

4.モユニ10 (彦根:1996年11月)

その後ろの方には、古そうな電車が・・・辛うじて残る車体標記を確認すると、この電車は郵便車のモユニ10(注1)でした。近江鉄道の郵便車の歴史は古く、明治時代にまで遡りますが、1984年に郵便輸送は廃止されました。モユニ10は1928年川崎造船製の元西武モハ232でした。1964年に近江に転じて、その際に郵便車となりましたが、1983年に車籍をモハ205Ⅱに譲りそれ以来、車籍がない幽霊電車としてここに居座りました。もう13年もこの状態が続いていましたが、後輩の西武401系に追いやられる羽目になりました。しかし、この状態なので、まともな写真が撮れません。

(注1)モユニ10の車歴

・近江モハ221←近江モハ205Ⅱ←近江モユニ10(1983年除籍)←西武モハ232:1928年川崎造船

モユニ10は、1983年にモハ205Ⅰの車体(元小田急デハ1605)を流用してモハ205Ⅱとして生まれ変わりました。この際にモユニ10の車歴を引継ぎましたが、モハ205Ⅰの車歴を1983年に製造されたクハ1506が引き継ぎました。なんだかややこしいです。

 

5.正体不明の木造有蓋貨車(彦根:1996年11月)

その後ろには、得体の知れない木造有蓋貨車が・・・・何か標記が残っていないか近づこうしましたが、なんとスズメ蜂が棲み着いている様で、危なくて近づけません。仕方なく断念!!

 

6.DD13104 (彦根:1996年11月)

さらに、その後ろには2両のDLが・・・・このDD13104は1970年汽車会社製の元国鉄DD13です。ビール輸送用に1982年に転じてきましたが、4年程で失業となり、1990年に廃車になったものの、この遺跡に放置されました。

 

7.DD451 (彦根:1996年11月)

一番後ろは一見して産業用機関車の風貌ですが、足回りを見ると古風なロッドが・・・・この車両は1963年富士重工製の元小名浜臨海DD451です。ビール輸送開始に伴い1974年にやって来ましたが、DD13104よりも先の1984年に失業しました。しかし、廃車にはならず放置!!。きっと忘れられていたのでしょう。この時点でも車籍を有していました。このあたりまで来ると車庫と言うよりブッシュです。スズメ蜂が飛び交う危険地帯なのでとっとと退散です。