ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1094話 1995年阪堺:堺の街並み(その3)

堺市街地の阪堺線は、広い道路と専用軌道により、電車の撮影には申し分ありません。しかし、ロケーション的には平凡で面白くありません。やはり、路面電車は多少撮り辛くても、まわりがゴチャゴチャして、賑やかな方が撮り甲斐があります。

 

1.モ171 (妙国寺前神明町:1995年12月)

広い道路幅を利用して少し側面を入れて撮ってみましたが、この頃の阪堺電車は、相変わらずド派手な広告電車しか走っておらず困ったものです。広告が派手過ぎて、最初の頃は車両番号を確認しないと、すぐに形式が区別できませんでしたが、だんだんと慣れてくると車体広告で車号が判別できるようになりました。いまだに覚えていますが、これが宣伝効果と言うものでしょうか。しかし、そんなことを覚えていても、何の役にも立ちません。

 

2.モ125 (妙国寺前:1995年12月)

黄色い電車はモ125です。このモ121形はこれから徐々に本数が減って行きました。これはモ121形の臓物を流用して新車を製造するためでした。この当時はモ151形の臓物を流用してモ701形を増備していましたが、モ701形は種車のモ151形がなくなったので、11両製造されてモ711で打ち止めとなり、その次はモ121形が臓物流用の候補となりました。

 

3.モ708 (妙国寺前:1995年12月)

モ121形は翌年の1996年から廃車が始まり、同時にモ601形が竣工しました。しかし、モ601形は、モ701形と同じスタイルになったので、全く変わり映えしない新車となりました。

 

4.モ167 (妙国寺前:1995年12月)

まあ、新車はどうでもよいことですが、あの頃は何よりも、減少する古い車両の塗装を何とかして欲しかったです。最近になって、やっとオリジナルの塗装が復活しましたが、今となっては、もう興味はありません。

 

5.モ503 (花田口妙国寺前:1995年12月)

堺市街地の大道筋は、綾ノ町から御陵前までの約2.5kmです。自動車にも邪魔されずうらやましい路線ですが、なぜ、こんなに優遇されているのか?。やはり戦後の再開発に伴う、大道筋の整備に便乗できたからだと思います。しかし、もっと利用客が欲しいところです。

 

6.モ304 (大小路~花田口:1995年12月)

この日は、堺市街をブラブラしながら阪堺電車を撮影しましたが、終点の浜寺公園駅前は、まだまだ5kmほど先です。この先は、御陵前を越えたあたりから大道筋を抜けて専用軌道となります。この後もときどき阪堺沿線の彷徨は続きました。