ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1092話 1995年阪堺:堺の街なみ

この年、転勤で堺市の住民となった私は、時々阪堺電車の撮影に出かけました。今回は、堺市内を走る阪堺電車とその街並みの様子です。

大阪市内を走る阪堺電車は、大阪の下町を走るイメージですが、大和川を渡って堺市に入ると、また一味違った雰囲気となります。

 

1.モ302 (大和川我孫子道:1995年12月)

先ずは、大阪市堺市の境界に架かる大和川橋梁です。大和川は結構大きく、このあたりでは川幅も広く、路面電車線用の鉄橋としてはかなり大規模です。路面電車タイプが走る、筑豊電鉄遠賀川橋梁や万葉線庄川橋梁なども結構大規模ですが、いわゆる軌道法の鉄橋でこの規模はこの大和川橋梁だけです。

 

2.モ702 (大和川我孫子道:1995年12月)

この鉄橋はトラス橋ではありませんが、下路ガーダータイプなので、電車の撮影は鉄橋の側面から撮ると足回りが写りませんが、複線なので、土手の軌道脇から撮るとこんな感じです。

 

3.モ704 (大和川我孫子道:1995年12月)

やや正面主体の写真になりますが、側面は強烈な車体広告なので、このくらいの角度がちょうど良いかもしれません。ちなみに、午前中の撮影では、堺市側からえびす町方面行電車の後追い撮影が順光となります。

 

4.モ170 (大和川我孫子道:1995年12月)

この頃は、新しいモ700形がかなり増殖していましたが、まだ、モ160形やモ120形などの旧型車が健在でした。しかし、この頃の阪堺電車はほぼ全車が広告電車で、その装飾も一番やりたい放題の時期だったようで、特に旧型車の広告には正直困りました。

 

5.モ125 (大和川我孫子道:1995年12月)

モ120形は、元大阪市電です。私の好みの電車でもありましたが、どこかで見た様な黄色い電話帳電車になっており、撮影にはちょっとためらってしまいました。なんだか、電車の色だけで、何の広告電車なのか覚えてしまうほどのインパクトと宣伝効果です。

 

6.モ171、モ708 (大和川我孫子道:1995年12月)

そして、この塗装は言わずもがなのサラ金電車・・・アッ、前面にも看板が出てますね。

 

7.モ173 (大和川我孫子道:1995年12月)

モ173は何の広告だったか?もうわけがわかりません。