阪堺電車の我孫子道車庫では、うんざりするほど広告電車を見ましたが、中にはレアなオリジナル塗装車も確認できました。だだし、旧型車ではありませんが・・・。
1.256 (我孫子道:1994年10月)
突然視界に入ったのは、ただならぬ京都市電そのものです。そう言えば、阪堺は廃止された京都市電から1800形を6両購入し、モ251形(注1)として運用していました。幸い外観は前尾灯以外はほとんどそのままで、誰が見ても京都市電です。しかし、広告電車だらけの中で、この塗装はなぜなのか?
2.253 (我孫子道:1994年10月)
でも、広告車もいました。この253は「すしのこ電車」ですが、あれッ!!平野行?
(注1)モ251形の車歴
・阪堺252,253,256←京都市1866,1867,1870:1953年愛知富士車輌製
モ251形は他車に比較して少し小柄な電車だったので、ラッシュ時の限定運用となっていましたが、1990年から廃車が発生し、1994年時点では3両しか在籍していませんでした。結局、残っていた3両も1995年までに全廃されました。
3.252 (我孫子道:1994年10月)
252も「すしのこ電車」でしたが、この車両はこの年の6月に廃車になっていました。今思えば、京都市電塗装だった256は、恐らくモ251形の全廃を前提に京都時代の塗装に戻したようです。
4.709 (我孫子道:1994年10月)
さて、続いてはどうでもよい新車のモ701形(注2)です。モ701形はモ151形の一部機器を流用して1987年~1995年までに11両製造されました。外観は軽快電車風の冷房車で抵抗制御ですが、ちゃんとしたカルダン車です。この時点ではすでに709まで竣工しており、この電車が最新でした。さすがに新車はいきなり広告車にはならず、まともな標準塗装で登場しましたが、この塗装は従来からのものではなく、モ701形用の新塗装です。あまり派手ではなく、これは明らかに、「新喜劇的なノリ」ではなくて良かったです。
5.701 (我孫子道:1994年10月)
しかし、新車も次の新車が増備される頃には広告車の洗礼を浴びます。この701などは、発狂したようなカラーリングになっていましたが、これと同じ広告が702にも・・・。
6.709 (我孫子道:1994年10月)
結局、新車と言えども、標準塗装は1両だけでした。
(注2)モ701形の車歴
7.モ217(保存車) (和歌山交通公園:1994年1月)
いろいろと、車体広告車を列挙しましたが、元々阪堺電車は南海電鉄の軌道線であり、その当時は昔の南海電車と同じ様な渋い緑色一色の塗装でした。阪堺電軌となる1980年頃まではその旧塗装車が結構いましたが、旧塗装の保存車の写真を撮っていたのでご覧下さい。この車両は平野線が廃止になるまで活躍したモ217(注1)です。
(注1)モ217の車歴
・南海モ217:1938年南海天下茶屋工場製
モ217は、古い木造車の臓物を流用して1937年~1947年に天下茶屋工場と広瀬車輌で46両製造されたモ205形です。全長12m弱の小型車で好ましいスタイルです。この写真は、1994年に貴志川線訪問時に寄り道して撮影したものですが、モ217は現存しているようです。この場所は貴志川線の交通センター前が最寄りです。