ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1093話 1995年阪堺:堺の街並み(その2)

さて、今回は大和川を渡って堺市内に入ります。阪堺電車は開業が古く、この阪堺線は明治末期には開業しています。開業時には南海電鉄とは別会社だったので、乗客の奪い合いが激戦だったようです。また、堺市内においては終戦後の道路拡幅と専用軌道により、路面電車としては大変恵まれた路線条件です。しかし、せっかく条件が良いのに、乗る人があまりいません。

 

1.モ505 (綾ノ町高須神社:1995年12月)

大和川堺市側は、市街地に入るまで住宅街を専用軌道が続きます。標準軌の立派な線路なので、大型の編成電車がやって来そうな雰囲気ですが、小さな単行の路面電車が来ると拍子抜けします。

 

2.モ302 (妙国寺前神明町:1995年12月)

堺市街地の阪堺電車は、大道筋のど真ん中をノビノビと走りますが、併用軌道ではなく専用軌道です。軌道敷は便宜上?舗装されていますが、自動車は走れません。

阪堺電車は、古い電車もすべて間接自動制御です。この軌道なら、高速で走ってもよさそうですが、路面電車なので電停間隔が短く、おまけに交差点や信号も多く、結局ノロノロ運転です。少々イライラしますが、急ぐ人はやはり南海電車です。

 

2.モ165 (大小路~花田口:1995年12月)

そう言えば、阪堺電車南海電鉄の軌道線でした。かつては阪神電鉄にも阪神国道に軌道線が存在しました。この阪堺線とは好対照だったような気がしますが、あちらは道路渋滞が酷く、1975年に廃止されてしまいましたが、こちらはほぼ専用軌道なので道路渋滞も少なく、現在も生き延びています。このあたりの事情は、都電荒川線と同じ様な感じです。

 

3.モ703 (大小路~花田口:1995年12月)

ところで、気になったのは、この大道筋は非常に閑散としており、そもそも人気がありません。堺は関東で言うと川崎の様な工業都市のイメージですが、休日だから閑散としているのか? 同じ阪堺線でも大阪市内南部の下町とは全く別の路線の様です。

 

4.モ305 (妙国寺前神明町:1995年12月)

この頃の阪堺電車の運行系統ですが、現在と違って、堺市内を走る列車はえびす町~浜寺公園駅前間を走る阪堺線の列車ばかりでした。なぜか天王寺駅前方面に行く上町線の列車は我孫子道止まりで堺市内には入ってきませんでしたが、それほど輸送需要がなかったのかも知れませんが・・・。

 

5.モ168 (花田口妙国寺前:1995年12月)

前述の通り、阪堺線はもともと南海電鉄の軌道線であるとから、ほぼ南海電鉄南海線と並行しています。堺市内の輸送需要がどの程度なのかわかりませんが、堺から大阪市内方面へ行くのに、わざわざ阪堺電車に乗る人はいるのか?

 

6.モ351 (大小路~花田口:1995年12月)

むしろ、南海線堺市高野線の堺東を結ぶ東西方向の路線が欲しいところです。ちなみに、大昔は阪堺線宿院から大浜海岸まで支線がありました。戦時中に撤去され、終戦後は復活することなく休止扱いでしたが1980年に正式廃止となりました。

もう25年ほど前の話しですが、堺市が主体となり、LRVを導入して東西線を新規復活させる計画がありました。しかし、なにかと政治的なしがらみがあったようで、東西線の復活構想は白紙となり現在に至ります。