名鉄の古い電車を追い掛けて、いつも揖斐線に出向いていましたが、忘れがちなのが岐阜市内線でした。今回は1995年当時の岐阜の繁華街を走る市内線の様子をお伝えします。この頃の岐阜の繁華街は沿道のアーケードを改修している最中でした。どの写真もものものしい工事中です。
1.モ556 (新岐阜駅前:1995年11月)
岐阜市内線は1988年まで徹明町~長良北町間の路線が存在していました。残念ながらその頃は揖斐・谷汲線の車両に熱中していたので、廃止された徹明町~長良北町間には一度も乗らず、モ560形と言う元北陸鉄道モハ2200形も撮影せずに終わってしまいました。
2.モ573 (新岐阜駅前:1995年11月)
徹明町~長良北町間の廃止後は、市内線の車両も整理されてしまい、1995年時点の市内線用在籍車は、下記の通りでした。
※モ550形:550,551,556
※モ570形:571~575
3.モ556 (岐阜駅前~新岐阜駅前:1995年11月)
岐阜駅前~忠節間は僅か3.7kmしかありませんが、これらの市内線用車両の用途は、揖斐線内の忠節止まりの列車及び、市内線直通急行列車から市内線への乗り換え客輸送でした。
4.モ773+モ772 (新岐阜駅前~岐阜駅前:1995年11月)
日中は、揖斐線から市内線直通急行が岐阜駅前までやって来ました。しかし、この当時の市内線直通急行は市内線の電停のほとんどを通過するので、市内線の利用客はあまりいない様でしたが、市内線専用の各停列車をなくすことはできませんでした。
5.モ770形2連接 (新岐阜駅前~徹明町:1995年11月)
市内線を走行するモ770形は、揖斐線内で張り出していたステップを引っ込めていますが、市内線では折り畳みステップを使用して低い電停に対応していました。しかし、どこが電停なのか、地元の利用客でないとわかりません。
6.モ571 (新岐阜駅前~徹明町:1995年11月)
岐阜市内は道路が狭く、岐阜駅前くらいしか電停にホームもありません。そして、交通量が多いので渋滞がひどく、列車は定時運行ができないことがしばしばあり、その場合は岐阜駅前行きの電車が終点の一つ手前の新岐阜駅前で折り返していました。この1電停間の距離は300mですが、この市内線は名鉄の路線なので、JRの岐阜駅へ行くことよりも自社の本線と接続することが重要だったのか?この事情を知らない「よそ者」は、岐阜駅前でいつまでたっても来ない電車の「待ちぼうけ」を食らったと思います。私もその一人でした。