ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1057話 1995年名鉄(岐阜):やはり悩ましい市内電車(その2)

名鉄岐阜市内線は、徹明町で美濃町線方面に分岐していました。この美濃町線方面も悩ましい市内電車でしたが、その実態は第660話でお伝えした通りです。長良北町方面への市内本線が廃止された後、岐阜市内線揖斐線系統と美濃町線系統に完全に区分されてしまいました。

 

1.モ573 (徹明町:1995年11月)

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徹明町は揖斐線系統と美濃町線系統の接点でした。しかし、両系統は全く別会社の様な存在でした。両系統の乗り換えなど全く考慮されておらず、乗り継ぎ割引もありませんでした。乗り継ぐ利用客もいなかったのか、その必要性がなかったのかも知れません。

 

2.モ770形2連接 (新岐阜駅前~徹明町:1995年11月)

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市内線で急行電車が停車する電停は、岐阜駅前、新岐阜駅前、徹明町、千手堂、西野町でした。ほぼ一電停飛ばしで通過していましたが、実態は新岐阜駅前と徹明町以外はほとんど利用客はいない感じでした。

 

3.モ573、モ556 (新岐阜駅前:1995年11月)

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さて、市内線用車両に話題を戻しますが、当時在籍していたモ550形とモ570形は、生い立ちが異なり形態も全く違いますが、同年代の車両でした。

 

4.モ556 (新岐阜駅前:1995年11月)

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細身のモ550形(注1)は北陸鉄道金沢市内線が廃止となりやって来た車両です。金沢市内線から移籍した車両は、モ550形10両(元北陸モ2000形)の他に、モ530形1両(元北陸モ2100形)、モ560形6両(元北陸モ2200形)の合計17両でした。これらの導入により岐阜市内線の木造車が一掃されました。その後、岐阜市内本線の徹明町~長良北町間が廃止となり、北陸鉄道からの移籍車の多くが余剰廃車となりましたが、なぜか新しい方のモ560形が先になくなってしまいました。ちなみにモ562は、福井鉄道に譲渡されて現在も在籍しています。

(注1)モ550形の車歴

名鉄モ550,551,556←北陸モハ2001,2002,2007:1950年近畿車輌

 

5.モ573 (新岐阜駅前:1995年11月)

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一方、都電6000形にそっくりのモ570形(注2)は、岐阜市内線オリジナル車でした。もともと美濃町線用に導入されましたが、美濃町線には次々と新車が投入されていつの間にか市内線用となりましたが、この時点では全車5両がそろって在籍していました。

(注2)モ570形の車歴

名鉄モ571,572,573:1950年帝国車輌製

名鉄モ574,575:1953年帝国車輌製

モ570形は、2次に分けて製造されました。基本仕様は変わりませんが、2次車は手持ちの制御機器を流用し、1次車の台車振替により発生した1次車の台車を流用し、外観上側窓が拡幅されて10個から9個に変更されました。

 

6.モ556 (岐阜駅前~新岐阜駅前:1995年11月)

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その後の揖斐線岐阜市内線の関係ですが、1998年のモ780形導入による揖斐線LRT化によって運用がシンプル化されます。具体的には揖斐線の列車がほぼ15分ヘッドで市内線直通化され、市内線では全列車が各停となりました。これに伴い、市内線も日中は各停が倍増して突然便利になりましたが、果たして市内線の利用客は増えたのか?。しかし、少なくともその頃は、やる気満々だった岐阜市内線が伺えました。