ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第364話 1990年福井:地味な変化(その3)

この当時スタンダードの高床車が併用軌道区間を走っていたのは、名鉄犬山線や京阪京津線を別格として、新潟交通と福鉄くらいでした。そのなかでも、高床車が路面の電停にも停車するような、路面電車の役割を担うケースは、この福鉄だけで、いつまでこの状況が続くのか?気になりました。

 

1.モハ81+クハ81 (公園口~本町通:1990年5月)

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軌道線の道路は広く、電車は車を気にせずのびのびと走っていました。

福鉄の場合は、路線の性格が福井~武生間のインターアーバン的な存在であり、立派な郊外電車だったので、これに見合う名鉄揖斐線モ770形の様な、鉄道線と軌道線の両用の路面電車タイプの車両が欲しいところですが、新車の購入は厳しく、とは言え中古車の入手もできなかった現実がありました。

 

2.モハ81+クハ81 (公園口~本町通:1990年5月)

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ところが、福鉄は欲しかった名鉄揖斐線モ770形を2006年に入手します。これは名鉄揖斐線美濃町線岐阜市内線が突然廃止となったっため、不要となった低床車両を、福鉄が一挙に買い取ったもので、他にもモ880形や当時の最新車だったVVVF制御のモ800形も含まれました。福鉄にしてみればまさに「棚から牡丹餅」で、これらの低床車両導入でようやくバリアフリー化の面目がたちましたが、それは16年後の話しです。

 

3.モハ202-1+モハ202-2 (三十八社~鳥羽中:1990年5月)

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 軌道線の撮影を終えて、次は田園地帯です。

この日は少し風があり、水面に列車は映りませんでしたが、北陸鉄道石川線に続き天気も良く、 三十八社(さんじゅうはっしゃ)という変わった名前の駅近辺で撮影を行いました。

 

4.モハ200形2連 (三十八社~鳥羽中:1990年5月)

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 スノーシェッドを抜けてモハ200形がやって来ました。よく見ると冷房装置が搭載されています。モハ300形が冷房車なので、モハ200形も冷房改造が始まったようです。

さすがに90年代になると、ようやく地方鉄道でも冷房車が普及し始めました。

 

5.モハ200形2連 (三十八社~鳥羽中:1990年5月)

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 今回の撮影では、モハ200形やモハ300形を撮っていますが、本当はこれを撮りに来たわけではありませんでした。本当は吊掛車であるモハ140形の撮影が目的でしたが、日中はもうほとんど走っていませんでした。よって、不本意ではありますが、カルダン車も投稿対象にさせてもらいました。