ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第791話 1993年名鉄(揖斐):平成の大正ロマン(その5)

黒野駅は、揖斐線の要衝でした。列車の運用は、黒野を境界に、忠節、岐阜市内方面と本揖斐方面、そして谷汲線が分岐しており、ここに検車場もありました。

 

1.モ770形,モ514 (黒野:1993年8月)

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 当時の最新車と長老のツーショットです。

モ770形とモ510形は60歳以上の歳の差があります。揖斐線もようやく世代交代がやって来ましたが、なかなか増えないモ770形となかなか引退しない510形はしばらく共存しました。

 

2.モ754,モ704 (黒野:1993年8月)

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 閑散区間である本揖斐、谷汲方面は黒野で乗り換えです。いずれの方向にも通常はモ750形のワンマンカーが60分間隔で運用されていました。正月など谷汲線には岐阜市内直通の列車が臨時で運行されていましたが、谷汲線は電力事情により、モ770形が入線できないことから、モ510形に頼らざるを得ませんでした。こうした背景が旧型車が引退できない理由でした。

 

3.モ755 (黒野:1993年8月)

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 ラッシュ運用を終えたモ755が戻って来ました。モ750形は、モ700形と共に、次期新製車であるモ780形の登場で1998年に淘汰されますが、新車が入線できない谷汲線用に3両が残されました。モ755は残された車両の1両です。残った3両のモ750形は2001年の谷汲線廃止まで活躍しました。

 

4.モ514 (黒野:1993年8月)

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 モ514は強運な車両でした。モ510形もモ780形の導入でいよいよ引退かと思われましたが、やはりお宝車両として、モ513,モ514の2両が残りました。結局、揖斐線が全廃される2005年まで生き残り、80歳まで現役でした。

 

5.モ512 (黒野:1993年8月)

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 モ512は、一足早く2000年に廃車となりました。この電車は生まれ故郷の元美濃町線美濃駅に保存されました。

 

6.モ512+モ513他 (黒野:1993年8月)

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1993年時点では、モ510形はまだまだ安泰でした。 各地で吊掛車が消滅して行くなか、揖斐・谷汲線参りはその後も続きました。

 

7.揖斐・谷汲線時刻表 抜粋(1993年8月12日改正)

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 最後に1993年8月のダイヤ改正後の揖斐線時刻表を示します。これを見ると、ラッシュ時は市内線直通が1列車しかありません。ラッシュ時は市内直通の利便性よりも揖斐線内の輸送で手一杯と言った感じです。揖斐線の本格的なLRT化は1998年のモ780形導入以降でした。