ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1032話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その4)

南海モハ1201形の車歴はさておき、1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。特に神戸方面は甚大な被害を受けて多くの犠牲者がでました。道路や鉄道も寸断され、私が幼少の頃住んでいた夙川辺りも、阪急電車の高架橋が崩壊して近づくこともできない程の被災状況でした。そんなこともあり、しばらく貴志川線のことをすっかり忘れていましたが、年度が変わった4月1日に貴志川線を目指しました。

 

1.モハ1202+モハ1210 (伊太祁木:1995年4月)

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モハ1201形は前日の3月31日に引退しました。よって、この日はもう走っていませんでしたが、先ずは伊太祁曽へ出向きました。

 

2.モハ1202+モハ1210 (伊太祁木:1995年4月)

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伊太祁曽の車庫には、さよなら運転に使用されたモハ1202+モハ1210がいました。その他の車両は見当たりませんでした。もしかすると、どこかに留置されていたのかも知れませんが、もう探すのをやめました。

 

3.モハ1202+モハ1210 (伊太祁木:1995年4月)

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私は今でも大手私鉄の電車には興味がありませんが、このモハ1201形には、何か惹かれるものがありました。モハ1201形とは1990年から5年間ほどの付き合いでしたが、これが最後の撮影です。前日はどの様な「さよならイベント」があったのかわかりませんが、最後まで残っていたモハ1201形は、南海電鉄には保存されることもなく消滅しました。ちなみに、このモハ1202は加悦鉄道亡き後の「加悦SL広場」に引き取られて保存されましたが、そこも維持管理に行き詰まり、2020年に閉園され、貴重な保存車両たちはNPO法人のご尽力で保存活動は継続されていますが、モハ1202は保存車の希少価値からすると保存の優先順位は低く、先行きはかなり厳しい状況です。今こそ南海電鉄にSOSです。

 

4.クハ2704+モハ2274 (吉礼~岡崎前:1995年4月)

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さて、ここからは惰性で貴志川線の新車?です。新車と言っても中古車です。この電車は半年ほど前に、南海電鉄の千代田工場で改造中の状況を見せて頂きましたが、この日乗車して初めて知ったことは、パンタ付きの車両がクハと言う事実でした。

 

5.クハ2704+モハ2274 (吉礼~岡崎前:1995年4月)

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種車の22000系は、Mc+Mcなので、パンタ付きのMc車をTc化したに過ぎませんが、どう言う理由なのか?しかしながら、ようやく貴志川線にもCI化が訪れました。そして、冷房付きのカルダン車です。なお、この電車はクハ2701形+モハ2271形の固定編成ですが、2200系貴志川線バージョン(注1)と言うことでした。

 

6.クハ2704+モハ2274 (吉礼~岡崎前:1995年4月)

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まあ、私には全く興味がない電車ですが、一応車歴を記します。

(注1)2200系貴志川線バージョンの車歴

・南海クハ2701+モハ2271←南海モハ22029+モハ22030:1972年東急車輛

・南海クハ2702+モハ2272←南海モハ22031+モハ22032:1972年東急車輛

・南海クハ2703+モハ2273←南海モハ22025+モハ22026:1970年東急車輛

・南海クハ2704+モハ2274←南海モハ22027+モハ22028:1970年東急車輛

・南海クハ2705+モハ2275←南海モハ22019+モハ22020:1970年東急車輛

 

7.クハ2701+モハ2271 (和歌山:1995年4月)

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ところで、華々しくデビューした2200系でしたが、気が付けば貴志川線ごと南海電鉄から追い出されてしまいました。現在は和歌山電鐵と称する、なぜか経営母体が岡山の両備グループの一員となりました。これらの電車は現在も健在ではありますが、なにやら公共交通らしからぬノリに転じてしまい、初めて乗車する人は「これに乗って良いのか」ためらうほどの電車になってしまいました。そして、猫が嫌いな人には近寄り難い存在の様です。