ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1030話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その2)

南海貴志川線に最後まで残ったモハ1201形は比較的初期車が多く残っていましたが、いずれも結構原形を留めていました。他形式からの編入を含めて、かつては累計46両も在籍し、廃車後に他社へ転じた車両もありましたが、結果的に自社のモハ1201形が一番長生きしました。

 

1.モハ1217+モハ1218 (伊太祁曽:1995年1月)

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その理由には、DC600Vき電の貴志川線の存在が大きかったわけですが、ここまで長々と使用されたのは、恐らく後継車として複電圧車で残されていた高野線22000形の捻出を待っていたのかも知れません。

 

2.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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そして、貴志川線は開業の頃から不採算路線でしたが、この頃はまだ南海電鉄貴志川線を不要家族ではなく、扶養家族として養っていた様で、CI化から取り残されていた貴志川線2200系の導入をもってCI化を達成する運びとなりました。

 

3.モハ1203+モハ1204 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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ようやくお目当ての車両が来ました。この2両は昭和一桁生まれのモハ1201形で、最も年長のグループです。両運車であり、デッカイ顔ではなく、精悍な顔をしています。この年長車両が貴志川線に4両も残っていたことが奇跡的です。

 

4.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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貴志川線にいた晩年の頃のモハ1201形は10両ですが、製造ロット的に分類すると以下のの様になりますが、これはあくまでも私の個人的な便宜的な分類です。

・モハ1201~1204・・・1次車

・モハ1210,1213,1217・・・3次車

・モハ1218,1234・・・4次車

・モハ1241・・・5次車

 

5.モハ1203+モハ1204 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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便宜上の1次車は、モハ1201~1206、1233でしたが、これらは元々モハ130形でした。モハ1233は、モハ130形からモハ1051形を経てモハ1201形に編入されたので車両番号が飛んでいます。モハ1201形として最初から製造されたのは、モハ1207~1209までの便宜上の2次車です。この1,2次車が、いわゆるデッカイ顔ではないグループです。貴志川線には2次車は在籍しませんでしたが、モハ1207,1208が昇圧時の1971年に水間鉄道に譲渡されました。

 

6.モハ1217+モハ1218 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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便宜上の3次車は、モハ1210~1217,1232です。この3次車からデッカイ顔になりました。モハ1232はモハ1021形からの編入です。この3次車には戦災復旧により一段下降窓の戦時設計タイプに車体更新した車両も存在しました。

 

7.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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便宜上の4次車は、モハ1218~1227,1234です。モハ1234だけ車両番号が飛んでいますが、これは他形式からの編入車との兼ね合いで、車両番号の辻褄合わせの結果でした。しかし、これを理解するのに非常に難儀しました。ちなみに、モハ1223~1227は、クハ1901形からの編入車でした。そして便宜上の5次車あたりから車歴がわけわからなくなりました。特にモハ1241の車歴には参りました。