ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第213話 1991年野上:自爆の設備投資(その5)

1991年時点、野上電鉄は日中45分間隔の運転でした。このため、日中は2列車運用となり、普段は単行運転なので2両で十分です。よって残りの在籍車11両は車庫で昼寝です。

 

1.デ11、デ13 (重根:1991年9月)

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日中の2列車は重根で列車交換がありました。

重根は有人駅で列車交換の度に駅員さんがタブレットの受け渡しを行っていました。 

 

2.デ13 (幡川~重根:1991年9月)

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この日は、夕方まで重根付近の田園地帯で飽きる程、デ11、13の撮影を行いました。 

 

3.デ11 (幡川~重根:1991年9月)

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この時期沿線の田圃には、目玉バルーン以外にも黒いポリ袋やらなんやら色々と宙を舞い、大変賑やかです。これらはすべて 野鳥除けですが、せっかく天気も良く、彼岸花も綺麗に咲いているのに撮影が台無しです。

しかも、不意に空砲が炸裂し、ドギモを抜かれました。この空砲も 野鳥除けですが、心臓に良くないです。

 

4.デ13 (幡川~重根:1991年9月)

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 ご覧のように、飽きもせず同じ様な写真を撮り続けましたが、これも元南海1201形の導入に在来車の危機を感じていたためと思われます。

 

 

5.デ11 (幡川~重根:1991年9月)

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 結局、元南海1201形の入線は幻に終わってしまいましたが、ここに元南海1201形が走ったらどうでしょうか?
恐らく、貴志川線と大差なかったのではないかと思いますが、やはり元阪神・元阪急の残党が淘汰され、魅力は半減していたはずです。

 

6.デ13 (幡川~重根:1991年9月)

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 元南海1201形の投資が全くの無駄遣いだったことは、大変お気の毒なことでしたが、私にとっては、申し訳ありませんが、「安心した」の一言に尽きました。

 

7.デ13 (幡川~重根:1991年9月)

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 しかし、この2年半後に野上電鉄は廃止となります。

この無駄な設備投資が仇になったことより、補助金の打ち切りが致命傷の様ですが、最後は会社解散となる誠に残念な結末でした。