ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第212話 1991年野上:自爆の設備投資(その4)

この日は初めて野上電鉄のまともな走行撮影を行いましたが、どこで撮影すればよいのか十分に把握していませんでした。とりあえず動木(とどろき)あたりの貴志川の渓谷か、重根(しこね)付近の田園地帯といったところです。

 

1.デ13 (紀伊野上~動木:1991年9月)

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 同じ車両しか来ないので、撮影ポイントを微妙に変えながら撮影を行いました。ここは、動木駅の日方寄りにあった貴志川の支流の鉄橋です。バックに大きな蔵があり、古い車両にはぴったりの風景でした。

 

2.デ13 (紀伊野上~動木:1991年9月)

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 この写真は紀伊野上付近の貴志川に掛る道路橋から200mmの望遠で撮影したものです。この付近は渓谷沿いに集落が続いていますが、平地がなく、山の斜面に住宅が密集しており、道路事情も悪く、幹線道路も狭い一車線で大型車のすれ違いも厳しい程でした。よって、野上電鉄が生き延びたわけです。

 

3.デ13 (紀伊野上:1991年9月)

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紀伊野上に到着するデ13です。この頃、紀伊野上は有人駅でした。ラッシュ時には列車交換もありました。

 

4.デ13 (幡川~重根:1991年9月)

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午後は重根に撮影場所を移動しました。

 重根の付近は緩やかな傾斜地に棚田が広がる田園地帯です。しかし、この辺りは海南市のベットタウンとして造成が進んでいました。

 

5.デ13 (幡川~重根:1991年9月)

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 この辺りもそろそろ稲の刈り入れ時期が近いようで、稲穂を野鳥に食べられないように、大きな目玉のバルーンやネットが張られ、異様な光景でした。

 

6.デ11 (幡川~重根:1991年9月)

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野上電鉄沿線ではちょうどこの頃、彼岸花が満開でした。

 ローカル電車には彼岸花がよく似合います。