ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第890話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年(その5)

重根付近は、北山付近に比べて稲の生育が少し早く、そろそろ刈取りが近いような感じでした。今回の撮影はベストタイミングだった様です。撮影がもう1週間後だったら稲の刈取りが終っていたかも知れません。

 

1.モハ25 (幡川~重根:1993年9月)

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 この列車は、後追い撮影です。車掌さんの白いワイシャツが西陽を浴びて眩しいくらいでした。しかし、夕方になり、日射しが落ち着いて来ました。夕陽に照らされて稲穂も黄金色を呈してきました。

 

2.モハ25 (幡川~重根:1993年9月)

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 写真を見る限り米は豊作の様に見えますが、実はこの年は長雨と冷夏により、例年にない大凶作でした。まあ、それはそれとして、せっかくのモハ25の撮影を無駄にすることはできません。列車の顔が架線柱に被らない様に注意して、しっかりと連写です。

 

3.デ11 (幡川~重根:1993年9月)

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 この場所では、いままで何回も同じような撮影をして来ましたが、ご覧の通り架線柱が乱立しており、毎回悩まされました。特に夕方は架線柱の影が列車の正面に架かるのでさらに厄介です。

 

4.デ13 (幡川~重根:1993年9月)

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 夕方になると、列車の運用は3本になりました。1本増えましたが、増えたのは午前中に走っていたデ13でした。元阪神電車は日中はなかなか走りません。

 

5.デ11 (幡川~重根:1993年9月)

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 3列車運用になったので、結構頻繁に電車がやって来ますが、一枚の写真も無駄にはできません。

 

6.デ11 (幡川~重根:1993年9月)

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 日没が近づくと、列車の正面に陽が射します。少し移動して、この場所は7月頃は列車の側面にも陽が射しましたが、9月の今回は陽が射しませんでした。

 

7.モハ25 (幡川~重根:1993年9月)

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乗務員室扉を開けたままモハ25が戻って来ました。この電車は運転室が仕切られていたので、暑かったのでしょう。

さて、この日は東京に戻るので、今回の撮影はこれで終わりです。もう午後6時を過ぎていましたが、海南から特急くろしお号に乗れば、最終の新幹線には余裕で間に合いました。

野上電鉄はあと半年で廃止を迎えますが、この1カ月後にも秋の余韻を求めて野上谷へ出向きました。