ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第684話 1993年野上:夏の朝、淡々と走る(その4)

この日は昼頃まで北山周辺をウロウロしていましたが、デ11とデ13しか走っていないので、いい加減飽きました。しかし、まだお昼まで時間があるので、更に日方方面に移動しました。

 

1.デ11 (北山~野上中:1993年8月)

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 気温は35℃以上あったと思います。電車は窓全開で涼しそうですが、こちらは汗だくでした。

 

2.デ11 (八幡馬場~北山:1993年8月)

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 この場所は一面田圃ですが、一度は実りの秋を撮影したいと思いました。刈入れ直前の田圃は黄金に輝き、格別な雰囲気があります。しかしそのタイミングがなかなか難しく、その後もこの場所に通いましたが、10月の訪問時にようやく期待通りのチャンスが訪れます。

 

3.デ13 (野上中:1993年8月)

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 さて、ここは野上中です。小さな無人駅には木造の駅舎が建っていました。こじんまりとした好ましい佇まいでした。

 

4.デ13 (野上中:1993年8月)

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 小さい駅には小さいデ13がよく似合います。徐々に日差しがトップライトになって来ました。

 

5.デ13 (沖野々~紀伊阪井:1993年8月)

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 沖野々辺りはすでに住宅地でした。あまり開けた場所がなく、この辺りは列車の撮影には向いていません。野上電鉄は幾度となく廃線の危機に直面しましたが、1970年代には部分廃止をして、日方~沖野々間に路線を短縮する申請を出したこともあった様ですが、オイルショックに救われて再起しました。

 

6.デ11 (紀伊阪井~重根:1993年8月)

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木製とコンクリート製の架線柱が軌道脇に転がっています。ここは一時的な架線柱の置き場のようですが、未使用のコンクリート製はこのままどうなってしまうのか?

 

7.デ13 (紀伊阪井:1993年8月)

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 このあとは重根まで歩き、電車に乗って日方に戻りました。しかし、まだ撤収ではありません。昼食を採り、午後の部に続きますが、それは別途お伝えします。