ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1088話 1994年野上:野上谷の寒い朝(その4)

もう2ヵ月少々で野上電鉄は廃止となります。この頃はまだ、さよならムードではありませんでしたが、車両は必要以上の手入れはされていない様でした。そして、車内や車庫内の撮影は禁止となり、なんだか険悪なムードでした。

 

1.モハ26+モハ25 (北山:1994年1月)

朝ラッシュ最後の2連が日方に戻って行きました。これから単行の2列車運用となります。まあ、2連も撮れたので、もう1本撮ってぼちぼち帰ることにしました。

 

2.モハ27 (野上中:1994年1月)

どうせ、またデ11とデ13の2両が終日運用かと思っていたら、モハ27がやって来ました。これでこの日は、アーモンドチョコ以外の元阪神電車を全て走行撮影できました。

 

3.モハ27 (北山~野上中:1994年1月)

モハ27は、モハ25,26と同じ元阪神モハ701形の車体流用車ですが、モハ25,26よりも5年ほど遅れて、1960年に野上に移籍しました。

せっかくのモハ27なので、この日はもう1本戻りのモハ27を撮ることにしました。

 

4.デ11 (北山:1994年1月)

モハ27と紀伊野上で交換して来たのはデ11です。この電車もかなり年季が入った様に見えますが、実態は汚れと錆でした。すでにこの電車の実家である富山地鉄には同形の車両は存在せず、野上の3両が現役の貴重な生き残りでしたが、これもあと2ヵ月です。

 

5.デ11 (北山:1994年1月)

木造の北山駅がなかなかいい味を出しています。ここもかつては有人の交換駅だったようです。

 

6.デ11 (北山:1994年1月)

この元富山地鉄の3兄弟はよく働いていました。一度くらいは3連運転を見てみたかったですが、それは叶いませんでした。

 

7.モハ27 (北山~野上中:1994年1月)

おそらく来月になると、お名残りで乗客や同好者が増えると思われました。私はお祭り騒ぎが好きではないので、もう落ち着いて撮影ができるのはこれが最後と感じていました。