今回は4年ぶりに訪問した、1990年の野上電鉄の話題です。
(4年前の野上電鉄の様子は、第49,50話をご覧下さい。)
この時はその後の様子を確認するために、ちょっとだけ日方の車庫を覗いただけでした。1990年頃、世はバブル絶頂期で、野上電鉄も補助金を利用して設備投資が勢いに乗りました。噂では新車も計画されていたとかで、何か変でしたが・・・・。
1.昼下がりの日方構内 (連絡口:1990年2月)
野上電鉄の車両は4年前と全く変わっていませんでした。
いったいいつまでこの状態が続くのか、南海貴志川線よりもこちらの方が心配でなりませんでした。
2.モハ32 (日方:1990年2月)
モハ32は車体広告もなく飾り窓が優雅な車両でしたが、やはり雨樋の改造がネックでした。
3.モハ31 (日方:1990年2月)
こちらは車体広告付きのモハ31です。モハ32とは兄弟車ですが、こちらはアンチクライマー付きで、やや引き締まった面構えでした。
4.モハ31+モハ27(日方:1990年2月)
モハ31の後ろはモハ27です。元は2両共阪神電車でしたが、車高の違いがよくわかります。
5.モハ24(日方:1990年2月)
この時、唯一変化があったのはモハ24です。4年前は原型でしたが、その後雨樋が更新されてブサイクになりました。ところで、このモハ24はその後大変なことになります。
6.モハ23+モハ25 (日方:1990年2月)
モハ23は野上電鉄唯一の元阪急電車の車体ですが、この車両は雨樋の改造を受けずにいました。しかし、使用頻度はかなり少ない様でした。