ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第208話 1991年南海(貴志川):南海の離島(その4)

 今回は、1991年時点の貴志川線に在籍した1201形について少々触れます。

 

1.モハ1203+モハ1217、モハ1218+モハ1213 (伊太祁曽:1991年12月)

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 貴志川線の1201形は比較的初期車が集結していました。特にモハ1201~1204は1934年製の1次車とも言える車両です。あえて1次車と呼びますが、1次車は元木造車の鋼体化名義で製造された、元モハ133形を前身とするモハ1201~1206でした。この内4両が貴志川線に残っていました。

 

2.モハ1203+モハ1217 (伊太祁曽:1991年12月)

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写真は1次車のモハ1203です。1次車の4両は両運車でしたが、1201形では一番洗練されたデザインだったと思います。

やはり、1201形は1次車のこのスタイルが一番です。これがカッコ良かった頃の南海電車です。

 

3.モハ1217+モハ1203 (伊太祁曽~吉礼:1991年9月)

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 そして、1936年製の3次車に相当するモハ1210~1217以降は新造車扱いとなりました。3次車は片運車で貴志川線にはモハ1210,1213,1217の3両が在籍しました。
この3次車から車体が少し設計変更となり、パッと見た違いは妻面の腰板が連結器の胴受けあたりまで垂れ下がっており、「デカイ顔」となりました。この「デカイ顔」の登場で、カッコ良かった1201形はダサくなってしまい、なんとなくその後の南海電車のイメージとダブります。

 

4.モハ1218+モハ1213 (伊太祁曽:1991年12月)

f:id:kk-kiyo:20190526075611j:plain 写真のモハ1218は一番優雅な時代の1201形でした。 

1201形は更に増備が続き、1937年には4次車のモハ1218~1222が製造されました。この内、モハ1218が貴志川線に在籍していました。
4次車も相変わらずの「デカイ顔」ですが、かなり設計変更されて、車体は全溶接構造となり、窓の高さや内装が一新されました。なにやら高島屋デパート所属のデザイナーが内装を担当したそうで、登場時は室内灯がシャンデリア風だったそうですが、やがて戦争に突入するとその後の増備車は簡素な戦時設計に変更されました。

 

5.モハ1234+モハ1201 (吉礼~伊太祁曽:1991年12月)

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 次に番号が飛んで、貴志川線にはモハ1234というふざけた番号の車両もいました。
別にふざけたわけではなかったと思いますが、このモハ1234あたりから1201形の車歴がおかしくなります。モハ1234は1938年に製造された唯一の車両ですが、その前年に製造されたラスト車は4次車のモハ1222でした。なんでこんなに番号が飛んでしまったのか?

 

6.モハ1234+モハ1201 (吉礼~伊太祁曽:1991年12月)

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ところが文献を調べると、翌1939年にモハ1051形とモハ1021形から台車やモーターを変更して1201形に編入された車両が発生し、これがモハ1228~1233となりモハ1234に番号がつながりました。モハ1234は事故車の機器流用で生まれた新製車でしたが、この編入を見越してモハ1234を先に製造した様です。
更に空白だったモハ1223~1227は1940年にクハ1901形を電装化して充当され、すべての番号がつながりました。

 

7.モハ1203+モハ1217 (吉礼~伊太祁曽:1991年9月)

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その後も1201形の増備は続きますが、増備が一段落した時点では、モハ1201~1237、モハ1245~1249及び、同系のクハ1238,1239とクハ1901~1919が揃いました。

が、しかし、貴志川線にはモハ1241というのがいました。前述のとおり、1238~1244は番号が飛んでいます。ここで、モハ1241がどこから湧いて出てきたのか?

モハ1241には頭を痛めましたが、最近ネットでモハ1536からの編入であることを知りようやく解決です。結局、モハ1201形は最終的にモハ1201~1241に落ち着きました。

(モハ1245~1249はモハ1551~1555に改造のため、モハ1241落成時には存在せず)

ところで、貴志川線もいつまでも1201形のままではありません。いずれは何かが起こります。