ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1031話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その3)

前回から南海電鉄モハ1201形の車歴の話題になりました。貴志川線には10両のモハ1201形が残存していましたが、この他のモハ1201形についても車歴が気になるところです。以前、第208話でも触れましたが、モハ1201形は複数の形式から統合されたり、分離されたり、何度も改造、改番を繰り返すなどして、累計46両も在籍しました。個々の車歴は様々であり、久々に車歴の呪縛が蘇ります。

 

1.モハ1217+モハ1218 (和歌山:1995年1月)

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車歴の呪縛と言えば、第133話で話題に挙げた弘南鉄道3600系の前身である元東急3600系を思い出します。戦前の古い車両は、他社からの移籍や戦災復旧により出処がはっきりしない「お悩み」が付きものですが、南海電鉄のモハ1201形は戦前製で戦災復旧車も含まれるものの、出処は全て自社であることが明白なので、根気よく調べれば何とかなるはずです。・・・で、調べてみました。

2.モハ1217+モハ1218 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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南海モハ1201形の車歴なら、きっと誰かが調べているだろうと言う期待もあり、例によって、いろんな文献やネット検索を行いましたが、これが結構大変でした。理由は車両番号が飛んでいたり、竣工順序が入れ替っていたり、突然全く別の車両が2代目として登場したりetc・・・・。


3.モハ1217+モハ1218 (吉礼~伊太祁木:1995年1月)

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たしかに、どの資料もかなり詳細に記されているので間違いはないと思いますが、文章で変遷を羅列されると訳が分かりません。これをどの様にわかり易く表現すべきなのか、そこでも悩みは尽きません。

 

4.モハ1218+モハ1217 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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しかし、毎度のことですが、これを調べたからと言って、世の為人の為には何の役にもたちませんし、ましてや自分にとっても何の得にもなりませんが・・・。

 

5.モハ1234+モハ1241 (吉礼~岡崎前:1995年1月)

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今回も第468話近江鉄道の車歴同様、下表にまとめてみました。字が小さいので、適宜拡大してご覧下さい。

 

6.南海電鉄1201系の車歴まとめ

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この車歴表を作成してわかったことは、下記の通りです。

① モハ1201形は車両番号上、1201~1241,1245~1249の46両が在籍したと言うことです。そして、1242~1244は存在していません。

② 在籍した46両は、同時期に全車が揃うことがありませんでした。

③ 最終増備となった1245~1249が竣工した時点、1240~1244は欠番でした。その後1240,1241が竣工した時点では、1245~1249がモハ1551形に編入されて車両番号が消滅しており、昇圧直前においてモハ1201形は、1201~1241が在籍していました。

④ 晩年の1237,1239は2代目です。これはモハ1201形の車歴変遷において、欠番を埋めるために追番とはせず、2代目を襲名したものと思われます。

⑤ 一点不可解なのはモハ1238のモハ1551形への改造履歴です。この車両はモハ1201形とモハ1551形の各形式を短期間に転々とし、3度目のモハ1238で落ち着きましたが、これはどう言うことなのか?

しかしながら、この車歴表を見ていると、貴志川線のモハ1201形10両の車歴は氷山の一角に過ぎません。