ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第749話 1993年南海(貴志川):ラピート誕生の頃(その2)

貴志川線南海電鉄でありながら、もはや忘れられた存在の様でした。それどころか大手私鉄の中古車を導入して体質改善を図る地方私鉄よりも遅れをとっていました。

近所の水間鉄道も、長年南海電車のお古を愛用し、見た目は南海電車の支線の様な路線でしたが、とうとう昇圧の大英断を踏み切り、東急7000系を導入して、元南海1201系を一掃し、脱南海を図りました。

 

1.モハ1201+モハ1217 (吉礼~伊太祁曽:1993年4月)

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貴志川線が置いてけ堀を食らった理由はDC600Vき電であったためです。この頃の南海電鉄関空アクセスと岸里近辺の高架工事が最優先だった様で、貴志川線まで手が回らなかったのか?貴志川線を昇圧する予定もなく、貴志川線用に600V車を新製する余裕もなく、既存の1500V車を改造する気もなかったようで、しかたなくモハ1201形を使い続けていました。

 

2.モハ1210+モハ1241 (吉礼~伊太祁曽:1993年4月)

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モハ1210がやって来ました。モハ1201形は3次車であるモハ1210から構体構造を見直したマイナーチェンジ車となり、 デカい顔がトレードマークとなりました。

 

3.モハ1210+モハ1241 (伊太祁曽~東山:1993年4月)

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ところで、 水間鉄道から元南海1201系はなくなってしまいましたが、その車両は本来であればお隣の野上電鉄で再々就職の予定でした。第210話でお伝えした通り、野上へ行った1201系は大変残念なことになってしまいました。

 

4.モハ1234+モハ1204 (吉礼~伊太祁曽:1993年4月)

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 さっきまで試運転だったモハ1234が、営業列車になってやって来ました。試運転は無事に終わったということです。

 

5.モハ1210+モハ1241 (岡崎前~吉礼:1993年4月)

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  さて、この先貴志川線はどうなってしまうのか、非常に気になっていましたが、なんとなくモハ1201形の後継車が見えていました。南海電鉄には本線昇圧時の複電圧車が存在し、それらが貴志川線に転用されるのではないかと・・・。恐らく関空アクセスや岸里近辺の高架工事が一段落したら、具体化されるのではないかと思いました。

 

6.モハ1201+モハ1217 (岡崎前~吉礼:1993年4月)

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  例えば、増結用ズームカーの22000系など、17m車の2連なので貴志川線にピッタリです。この頃、高野線のズームカー21000系の置き換え用として2000系が増備され始めましたが、いずれ22000系も置換えられるはずです。

その答えが出たのは、翌年のことでした。