ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1052話 1995年南海(汐見橋):こっそり吊掛車!!(その3)

南海貴志川線のモハ1201形が1995年3月に消滅し、南海唯一の吊掛車となった1521系ですが、これも風前の灯でした。貴志川線同様に高野線の22000系や21000系などが新車の投入でローカル線に玉突き転出となり、余剰となった1521系が羽倉崎の車庫に留置されていました。そして、そのうちの8両は弘南鉄道に譲渡されました。弘南鉄道と言えば、東急7000系ステンレスカーを導入して新性能化を推進していたはずです。なぜ吊掛車の南海1521系を購入したのか理解に苦しみますが、東急7000系よりも大きな20m車が欲しかったのでしょうか?

 

1.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月)

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1995年7月末時点で、1521形は下記の通り10両が残存していました。

①残存車:10両

・モハ1521,1526,1528,1529,1531

・クハ3901,3906,3903,3905,3907

このうち汐見橋線にいたのは、下記の3編成です。

・モハ1521+クハ3901

・モハ1528+クハ3903 (モハ1528は両運車)

・モハ1529+クハ3905 

弘南鉄道譲渡車:8両

・モハ1522,1530,1523,1524,1525,1527

・クハ3902,3904

 

2.モハ1528+クハ3903 (木津川~津守:1995年7月)

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この車両は珍しい幌付きですが、これが両運車のモハ1528です。以前、両運車は5両存在し天王寺支線、高師浜線で運用されていましたが、この当時は天王寺支線は廃止され、高師浜線は22000系などの2連が運用されており、余剰となったモハ1521形の両運車は弘南鉄道に3両転出し、2両が残っていました。汐見橋線は2連運用なので、なぜ1両だけ両運車が混じっていたのか?

 

3.モハ1529+クハ3905 (津守~西天下茶屋:1995年7月)

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汐見橋線の在籍車両は2連3編成の6両ですが、この3編成は路線分断以来宿無しです。列車検査は汐見橋構内で行われていた様です。本線とつながっていないので、1列車故障したら予備無しとなりますが、運休が生じてもこの程度の輸送需要なので問題視されていないのか?

 

4.モハ1529+クハ3905 (西天下茶屋:1995年7月)

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ここは西天下茶屋です。この一帯は典型的な大阪の下町です。ホームには「高野山・橋本方面のりば」との案内が表示されていますが、この路線が高野線であることを物語っています。

  

5.モハ1521+クハ3901 (西天下茶屋:1995年7月)

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日中の汐見橋線は30分間隔で運転されていました。大阪市内なのに30分間隔とはずいぶんやる気がありませんが、それでも電車はガラガラです。おそらく採算は取れていないと思います。単線走行でも十分な様です。まあ、ここも大南海の隠れ蓑なのでしょう。

 

6.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月)

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この時点で1521系は製造から36年が経ちましたが、臓物が国鉄63形のお古であることや、南海初の20m4扉車はローカル線には少々難ありなようで、まもなく山から下りて来たズームカー達に交代です。