ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第130話 1987年弘南 車歴の呪縛(その2)

今回の撮影旅行も北海道の帰り道ですが、北海道からずっと天気が悪く、どうも気合の入らない旅行でした。しかし限られた日数なので、淡々と行程を消化するしかありませんでしたが、弘南3路線を1日で回るのは少々厳しかったです。なにしろ個性的な車両が多過ぎて、1日では全部を見切れませんでした。

 

1.クハ1613+モハ2233 (中央弘前:1987年8月)

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 最初に乗ったのは、元旧国のクハ1613でした。当時弘南には元旧国のクハ16形(注1)が4両在籍していました。このうち、クハ1614だけは弘南線所属でしたが、他は大鰐線に所属し、大鰐線ではこのクハ1613が元西武のモハ2233と、そしてクハ1610とクハ1612が元旧国のモハ11形とコンビを組んでいました。

ところで、旧国というのは車歴が複雑でわけが判りません。最近ではネットを通じて情報が豊富にはなりましたが、求める答えが複数出て来ると困ったものです。

(注1)クハ16形の車歴

・弘南クハ1610←国鉄クハ16222←国鉄クハ16138←国鉄クハ38100←国鉄モハ30142←国鉄デハ73341:1927年汽車会社製

・弘南クハ1612←西武クハ1319←国鉄クハ65003←国鉄クハ17005←国鉄サハ26005←国鉄サハ33579:1924年日本車輌

・弘南クハ1613国鉄クハ16449←国鉄クハ65065←国鉄クハ17079←国鉄サハ26080←国鉄サハ33654:1926年汽車会社製

・弘南クハ1614←国鉄クハ16548←国鉄クロハ16848←国鉄クハ65212←国鉄クハ17059←国鉄サハ26060←国鉄サハ33634:1926年汽車会社製

クハ16形の生い立ちを辿ると省電デハ73200形やサハ33550形にまで遡ります。もちろん書類上の話しであり、恐らく実態は鋼体化された時点でほとんどは過去の車両と縁が切れていますが、認可上過去を引きずっているので仕方ありません。これらの車歴はいろいろな文献に諸説ありますが、何が本当かよく判りません。今回記述した車歴は悩んだあげく諸説を合成したものですが全く自信ありません。もしかしたら全くデタラメかもしれませんが、ご容赦願います。本当の事をご存知の方がいらっしゃったらご教示願います。

 

2.モハ1121+クハ1610 (津軽大沢~石川:1987年8月)

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この日は日中、 モハ1121+クハ1610の元旧国コンビが運用に入っていました。

 当時大鰐線には元旧国の電動車が3両在籍しました。各車とも元国鉄モハ10形、モハ30形を前身とする複雑な経歴ですが、弘南ではモハ11形(注2)に集約されました。

(注2)モハ11形の経歴

・弘南モハ1120←国鉄モハ11124←国鉄モハ11018←国鉄モハ30048←国鉄デハ73247:1927年日本車輌

・弘南モハ1121←国鉄クモハ11409←国鉄モハ50006←国鉄モハ10033←国鉄デハ63132:1925年汽車会社製

・弘南モハ1122←西武クモハ328Ⅲ←西武モハ328Ⅲ←西武モハ314←国鉄モハ50058国鉄モハ10052←国鉄デハ63151:1925年日本車輌

 モハ11形もクハ16形同様に、生い立ちを遡るとわけが判りませんが、これも諸説合成して車歴を記述しました。自信がありません。

 

3.モハ1121+クハ1610 (津軽大沢~石川:1987年8月)

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とにかく戦災復旧や鋼体化した旧国の車歴はわけが判りません。 そんなことはどうでも良いことかも知れませんが、このままではどうもスッキリしません。

 ところで、これらの元旧国も、当初は弘南線に配属されました。
モハ1120、クハ1610が1967年、モハ1121が1970年、クハ1613、1614が1974年に国鉄から入線し、モハ1122、クハ1612が1971年に西武から入線しました。そしてクハ1614を除き、いずれも1980年~1981年に大鰐線に移ってきました。

 

4.モハ1121+クハ1610 (大鰐:1987年8月)

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ちなみに、当時の大鰐線の元旧国は、下記の編成でした。

・クハ2251+モハ1120:クハ2251は元富士身延の買収国電

・クハ1610+モハ1121

・クハ1612+モハ1122:この編成は2両とも西武経由で弘南入り。

・クハ1613+モハ2233:モハ2233は元西武。

 

5.モハ105 (大鰐:1987年8月)

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大鰐線はもともと弘前電鉄として開業しましたが、開業時に集結した中古車は、電動車がモハ100形、制御車がクハ及びクハニ200形に集約されました。これらの車両は弘南鉄道に合併後、弘南線から転籍してきた車両に追い出されるかたちで淘汰され、残ったのはモハ105とモハ108のわずか2両だけでした。

当時大鰐線で一番新しく見えたのがモハ105(注3)でした。実際に車体は1959年に新製されたので一番新しい車両でしたが、名義上は1953年の弘前電鉄開業時に秩父鉄道から譲受した4両の木造車のうちの1両です。他の3両は車体新製せずに簡易鋼体化(鉄板を張っただけ)にとどまりましたが、このモハ105だけが車体を新製して生き延びました。なにやらモハ105は他の3両に比べて老朽化が激しかったので簡易鋼体化を諦めて車体新製したとのことですが、他の3両は車体新製するお金がなかったのかも知れません。

(注3)モハ105の車歴

・弘南モハ105←弘前モハ105←秩父デハ14 :1923年梅鉢鉄工所製

※モハ100形のうち開業時に準備されたモハ101,102,103,105は、三菱電機の仲介で秩父鉄道が鋼体化で不要となった車体に三菱電機製の新製電機品を搭載して導入されました。

 

6.モハ108 (大鰐:1987年8月)

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モハ100形はもともと開業時に譲受した元秩父鉄道の木造車に付けられた形式ですが、その後増備された雑多な両運車もこの形式に統合されました。

 モハ108(注4)はモハ105とは全く形態が違います。元々モハ100形初期車は秩父鉄道の車両ですが、モハ108は元京急デハ400形の改造車でした。しかしこの車両は1967年西武所沢工場製の新車名義です。

いったい何がどうなれば、中古車ではなく新車になるのか?悩みは尽きません。他人が乗っていた乗用車の内装を全部新品に取り換えても、それは中古車ですが、鉄道車両の場合は、廃車になった車両を整備して国の認可を取れば、何年使われた車両でも新車になれるわけです。

(注4)モハ108の車歴

・弘南モハ108←弘前モハ108:1968年西武所沢工場製(実態は1943年梅鉢鉄工所製の京浜急行デハ400形である)