ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第131話 1987年弘南 車歴の呪縛(その3)

弘南鉄道の車両はとにかく車歴が複雑ですが、なにより車種が多彩でした。

 

1.クハ2251+モハ1120 (石川~津軽大沢:1987年8月)

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 大鰐線には買収国電もいました。写真のクハ2251(注1)は元富士身延鉄道(現JR身延線)出身の買収国電です。

弘南鉄道は1959年~1961年に国鉄飯田線から元富士身延の買収国電を7両も購入しました。そのうち3ドア化されたモハ2251~2253が1976年に弘南線から大鰐線に転属となりました。なお、モハ2251は1970年に台車をモハ2051に譲り、その後はクハ代用として使用されましたが、大鰐線転属後の1982年に正式にクハ化されました。

(注1)クハ2251の車歴

・弘南クハ2251←弘南モハ2251←国鉄モハ1201←国鉄モハ93002←富士身延モハ101:1927年日本車輌

 

2.クハ2251+モハ1120 (大鰐:1987年8月)

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 クハ化されたクハ2251は同形のモハ2250形とはコンビを組まず、なぜか元旧国のモハ1120とコンビを組みました。まあ同形同士よりも趣味的には面白い編成なので、これはこれで佳しです。

 

3.クハ2251+モハ1120 (大鰐:1987年8月)

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 古い電車には木造の上屋がよく似合います。しかしこの光景も翌年まででした。

1988年には大鰐線の体質改善で東急7000形が導入され、貴重な元買収国電や元旧国が一斉に淘汰されます。

 

4.モハ2253 (津軽大沢:1987年8月)

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 モハ2250形(注2)は、大鰐線では元西武車であるクハ1260形とコンビを組みました。

(注2)モハ2250形の車歴

・弘南モハ2252←国鉄モハ1203←国鉄モハ93004←富士身延モハ104:1927年日本車輌

・弘南モハ2253←国鉄モハ1204←国鉄モハ93005←富士身延モハ105:1927年日本車輌

 

5.クハ2251標記 (大鰐:1987年8月)

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 弘南鉄道の社章はレトロな車両にお似合いでした。

 

6.クハ2251車内 (大鰐:1987年8月)

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 元富士身延の車両は、もともと2ドアでクロスシート車でした。国鉄時代もその形態は維持されましたが、短距離通勤路線の弘南鉄道ではモハ2250を除く3両を3ドアロングシート車に改造を行いました。

 

7.ED221 (大鰐:1987年8月)

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 大鰐線には、除雪列車用にED221(注3)という電気機関車がいました。ちなみにこの電気機関車も車歴的に相当な強者です。

その生い立ちは、信濃鉄道が1号機として導入したアメリカ・ウエスチングハウス製の舶来品で、これも買収国電の1両です。信濃鉄道は国鉄大糸線に買収され、この機関車は各地を転々とする流転の運命となります。1974年に最後に辿り着いたのが弘南鉄道大鰐線ですが、もう45年もまともな仕事もないのに、ラッセル車のキ105とコンビを組んで現在も現役です。

(注3)ED221の車歴

・弘南ED221←一畑ED221←西武ED221←近江ED221←西武ED1←国鉄ED221←信濃1号:1927年米国WH製