ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第775話 1993年野上:最後の夏のある日

今回は第684話の続きである、1993年8月の野上電鉄の様子です。

第684話では、午前中の様子をお伝えしましたが、今回は午後です。昼食を採るため、一旦日方に戻りました。この日はデ10形しか走っておらず、その他の車両はどうしているのか、午後一で車庫に出向きました。

 

1.日方構内全景 (連絡口:1993年8月)

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昼下がりの車庫では、多くの車両が暇そうに留置されていました。 日中はいつもこんな感じです。

 

2.モハ27+モハ31 (日方:1993年8月)

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 2両連結の車両は、ラッシュ用です。この2連はこの日の朝のラッシュで走っていました。

 

3.モハ24 (日方:1993年8月)

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 アーモンドチョコも今朝走っていたので昼寝です。この電車の広告ですが、とっくに契約も切れているはずですが、塗装を塗り戻す余裕もない様で、本当にこのまま最後を迎えそうです。

 

4.モハ26+モハ24 (日方:1993年8月)

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 午後は車両運用が変わる可能性がありました。恐らく2連は走らないと思うので、走る可能性としてはモハ25かデ12です。すでに走っているデ11,13は終日運用のようなので、ここは何としてもモハ25に登場願いたいところです。

 

 

5.登山口駅舎 (登山口:1993年8月)

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 車庫訪問の後は、これ以上デ11,13の走行を撮っても仕方ないので、涼しくなる15時頃まで時間調整のため登山口に行きました。することがないので駅舎の撮影なんかしていました。しかし、この駅舎も相当年季が入っています。本来、この駅は中間駅になる計画でしたが、結局延伸が計画倒れとなり、廃止まで終点となる運命です。

 

6.登山口駅舎と野上電鉄バス (登山口:1993年8月)

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 登山口は、駅前から野上電鉄のバスが出ていました。このバスは野上電鉄の延伸計画があった神野市場方面に行くバスですが、この他にも1日に何本かは海南方面行きがあり、自社の電車と競合する禁断の路線バスでしたが、沿線撮影には大変便利で、運賃は割高でしたが結構利用しました。

 

7.クハ101+クハ102 (登山口:1993年8月)

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 登山口の留置線には、使われなくなったクハが留置されていました。解体する余裕もないのかと思いましたが、実はまだ廃車になっていませんでした。結局、この2両は路線廃止までこの状態で車籍を有していました。