ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1033話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃

SLの陰に隠れて、安泰だった大井川鉄道の吊掛車でしたが、老朽化のためそろそろ車両の置換え時が近づいて来ました。しかし、その代替として、もう中古吊掛車のあてがなくなって来たので、廃車が出たらその穴埋めは、どこかのカルダン車を購入せざるを得なくなりました。

 

1.モハ1906+クハ6052+クハ6051 (大代川側線:1994年1月)

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そして、多客時に大活躍していた「あかいし号」が運用離脱しました。「あかいし号」は正式にはまだ廃車にはなっていませんでしたが、すでに大井川鉄道の「廃車の墓場」とも言うべき、通称「大代川側線」に留置されており、廃車も同然でした。

 

2.モハ1906+クハ6052+クハ6051 (大代川側線:1994年1月)

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そもそも、この3連は北陸鉄道から購入したカルダン車の「くたに号」(クモハ6001+クハ6051)の昇圧を諦め、電装解除してクハ6052+クハ6051としたため自走できず、電動車として小田急から購入したモハ1906とトリオを組んだものです。大井川鉄道では、「くたに号」を「あかいし号」と改称しましたが、固定編成となったモハ1906も「あかいし号」に含まれるのか?

 

3.モハ1906+クハ6052+クハ6051 (大代川側線:1994年1月)

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クハ6052+クハ6051は1964年製なので、まだ古くはありませんが、動力源である1949年製のモハ1906と運命を共にしました。結局この3連の正式な廃車は2年後の1996年でした。ところで、この3連の代替である車両がすでに新金谷で整備待ちの状態でした。ちなみに、その代替車両は元南海電鉄のズームカー2連でした。とうとう大井川鉄道にも冷房付きのカルダン車の登場です。

 

4.元山形交通ハフ2廃車体 (大代川側線:1994年1月)

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そして、「大代川側線」には解体を放棄された車両が・・・・。これは一体?。客室が崩壊した木造客車の様ですが、調べてみたら元山形交通ハフ2と言う、その前身は1917年名古屋電車製作所製の佐久鉄道ハ5でした。しかしこの客車は、過去において大井川鉄道には車籍はなく、なぜここでこんなふうになってしまったのか?大井川に来る前は西武鉄道で保管されていたとか!。きっと大井川鉄道では何かのイベント目的でこの車両を引き取ったものと思われますが、毎度の計画倒れのようです。

 

5.旧モハ306廃車体 (大代川側線:1994年1月)

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更にもう1両。こちらは原型を留めていますが、1978年に廃車となったモハ306です。この電車は1928年新潟鐵工所製の元富士身延鉄道モハ110です。なんと16年前に廃車となり、以降は暴露試験でもやっていたのでしょうか。ここはこんな状況なので、「墓場」と言われても仕方ありません。

 

6.Cワフ4+無蓋貨車3両 (大代川側線:1994年1月)

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さて、廃車の墓場と化していた大代川側線ですが、本来の役目は貨物基地でした。当時は既に貨物輸送がなくなっており、手狭な新金谷車庫の留置線的存在となっていましたが、それでも井川線の貨車などがたまに出入りしていた様です。写真の有蓋貨車は井川線の車両です。この写真では大きさがわかりませんが、かなり小型です。自連がバカデカく見えます。

 

7.モハ1105 (新金谷:1994年1月)

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ここは新金谷の車庫です。ここにも生存が危ぶまれる車両がいました。この車両は1981年に岳南鉄道からやって来た汽車会社製のステンレス試作車であるモハ1105です。この時点で運用されていたのか不明です。しかし、まだ車籍はあり、これも廃車は1996年でした。ところで、モハ1105の後ろには話題の南海ズームカーが・・・。興味がなかったので、ちゃんとした写真を撮っていません。