ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1034話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃(その2)

今回は初っ端から廃車の話題で始まり、気が重くなりましたが、ここからは気を取り直して現役車両の様子です。今回は大井川鉄道南海電鉄のズームカーが譲渡されたとの情報が入ったので、その情報確認が目的でした。幸いズームカーはまだ整備待ちの状態だったので一安心でしたが、この後の大井川鉄道は何を思われたのか関西大手私鉄の個性的な車両を導入し続けます。

 

1.E102他 (新金谷:1994年1月)

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それはさておき、この日もSL列車は運行されるようで、補機がスタンバイしていました。例によって、補機は撮影しましたが、SLの撮影は・・・・していません。

 

2.SL列車の後追い (五和~神尾:1994年1月)

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なので、申し訳程度にSL列車の走行撮影ですが、陽の向きを気にし過ぎて地味な後追い撮影になりました。わざわざ大井川鉄道に来て、SL列車のこんな写真を撮る人は少ないでしょう。牽引機はC11312でした。戻りの撮影に期待したいところです。

 

3.クハ6061+モハ6011 (塩郷:1994年1月)

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モハ1906が率いる「あかいし号」が運用離脱して、もう5連を見ることはできませんが、この時期は観光シーズンではなかったので、4連も見ることができませんでした。しかし、日当たりの良い場所で撮影するため、塩郷に向かいました。塩郷では観光客は一人もおらず、吊り橋から落ち着いて撮影ができましたが、綺麗に整備された護岸と駅のホームは何か味気ないです。

 

4.モハ6011+クハ6061 (塩郷~下泉:1994年1月)

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「あかいし号」は運用離脱しましたが、田舎のゴージャス電車である「しらさぎ号」は元気に走っていました。「しらさぎ号」と「あかいし号」は共に元北陸鉄道河南線から1971年にやって来た車両です。この「しらさぎ号」は「あかいし号」より1年早い1963年製でした。アルミ車体だったので「あかいし号」よりも垢抜けて見えますが、「あかいし号」はカルダン車として製造され、「しらさぎ号」は中古品流用の吊掛車で製造されました。本来であれば、「あかいし号」は大井川鉄道初のカルダン車として竣工していたはずですが、昇圧改造は断念されてトレーラーとなり、吊掛車の「しらさぎ号」よりも先に引退となりました。

 

5.モハ6011+クハ6061 (塩郷~下泉:1994年1月)

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しらさぎ号」は見た目がゴージャスですが、アルミカーと言うことで、かなりお高い車両だったと思いますが、これは日本車輌がアルミ車の試作を振り向けたもので、購入先の北陸鉄道にしてみれば安い買い物だったのかも知れません。

 

6.モハ312+クハ512 (地名~塩郷:1994年1月)

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続いてやって来たのは元西武の通勤電車です。初代レッドアロー号の座席を搭載した優等列車モドキの吊掛車です。しかしながら、西武でさんざん酷使された車両を、たたき直して使用した大井川鉄道はローカル私鉄の鑑です。