ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第849話 1994年福井:バリアフリー?なにそれ?(その4)

この日は朝から雨が降りそうな天気でしたが、西武生の車庫で撮影しているうちに晴れて来ました。よって、沿線撮影に出発です。5月の福井鉄道沿線は田植えも終わり、大変のどかです。

 

1.モハ300形2連 (三十八社:1994年5月)

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さっそく無難なところで、田園地帯のど真ん中にある三十八社で下車しました。しかし、いきなりの300形です。この日は旧型車が走っていないので、全く気合が入りません。

 

2.モハ80形+クハ80形 (三十八社:1994年5月)

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  三十八社は急行が停車しませんが、急行と普通の列車交換が行われます。この駅は周辺に民家がなく、乗降客もほとんど見ません。駅と言うより信号所と言った感じです。そして、少し前までは旧型車だった80形がやって来ました。さすがにカルダン化されて足どりが軽そうです。

 

3.モハ300形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年5月)

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 当時の福井鉄道のダイヤですが、急行は日中1時間毎、朝夕のラッシュ時が30分毎、普通は終日30分毎の運行で、急行は福井駅前発着、普通は田原町発着で武生新行きの一部は福井駅前経由でした。この他に朝のラッシュ時に準急と神明発着の普通がそれぞれ1往復運行されており、列車の運転本数はローカル線とは言えない路線でした。

 

4.モハ300形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年5月)

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 この日の急行はすべて300形でした。急行の運用列車は、ラッシュ時に3本必要なので、300形はフル運用となりますが、300形の検査入場時には200形が代走していました。

 

5.モハ80形+クハ80形 (鳥羽中~三十八社:1994年5月)

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 モハ80形は元々南海電車の古い木造車を戦後に供出を受けたものですが、福井鉄道移籍時にモーターの違いから南越線用をモハ80形、福武線をモハ90形として竣工しました。その後モハ80形はモーター交換を行い福武線に転籍し、モハ80形、モハ90形は鋼体化を機にモハ80形に形式統一されましたが、1977年にMT固定編成化され、その後国鉄の中古台車を利用してカルダン化されます。

<80形の改造略歴>

・モハ81←モハ81:1956鋼体化←モハ81南越線用:1949竣工←南海モユニ552←南海モハ114

・クハ81←モハ82:1956鋼体化←モハ82南越線用:1949竣工←南海モユニ553←南海モハ115

・モハ82←モハ83:1956鋼体化←モハ91福武線用:1949竣工←南海モユニ551←南海モハ113

・クハ82←モハ84:1956鋼体化←モハ92福武線用:1949竣工←南海モユニ554←南海モハ116

※モハ81+クハ81:MT化1977→カルダン化1987→主制御器ES-555化1991→冷房化1992

※モハ82+クハ82:MT化1977→カルダン化1988→主制御器ES-555化1988→冷房化1988

 

6.モハ200形2連 (鳥羽中~三十八社:1994年5月)

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 この頃の福井鉄道は、全くと言っていいほど話題がありませんでした。しばらくはこの体制が続きますが、モハ140形はいつまでも使用できるとは思えませんし、モハ160形も予備車とは言え、まず運用されることはなく、これら旧型車の動向が気になるところでした。