ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第467話 1991年近江:最強の車歴の呪縛

鉄道車両の寿命は30年~50年くらいが一般的でしょうか。もちろん使われ方によっては10年にも満たない場合も、逆に70年、80年さらにそれ以上の場合もあります。そして、人間の場合は本人が亡くなれば、本人を名乗り、本人に成りきって生き続けることはできませんが、車両の場合はこれが可能で、「本人?に成りきって」100年以上も生き続けていることになっている車両がおり、しかも公に認められています。

真新しい今風の車両や、明らかにどこかで走っていた昭和の車両なのに、明治生まれの車両として認可されているケースがあり、その実態を紐解くと、たいていわけが分からなくなり、車歴の呪縛に取り憑かれてしまいます。

以前、車歴の呪縛について弘南鉄道の例をご紹介しましたが、今回はさらに強烈な近江鉄道の話題です。

 いずれは、近江鉄道の話題に触れなければならないと覚悟していましたが、悩んでいても仕方ありません。車歴についていろんな文献を見ましたが、それらを元に、自分なりにまとめてみました。しかし、果たしてその信憑性は如何なものか全く判断できません。そもそも昭和の戦後生まれの私が明治や大正時代のことなどわかるわけがありませんので、予めご了承下さい。

 

1.ED141、ED314 (彦根:1991年9月)

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 さて、私が近江鉄道に出向いたのは意外と遅く、1991年でした。近江鉄道は歴史の古い鉄道ですが、私が古い車両を求めてローカル私鉄を彷徨するようになった頃には、すでに近江の古い車両は一掃されており、車体更新された見た目にも新しい電車ばかりになっていたので、なかなか足が向きませんでした。今回の訪問もついでに立ち寄っただけで、失業していた元国鉄の買収電機をさらっと見ただけでした。

 近江鉄道と言えば、つい最近自社で保存展示していた電気機関車の維持が困難になったことから、貴重な元国鉄買収電機を手放したことで話題になりましたが、その背景には、事業存続の大問題が関わっていました。少なくとも1991年頃に近江鉄道の存続問題などあり得る話ではなかったです。

 

2.ロコ1101 (彦根:1991年9月)

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 まずは、ロコ1101(注1)です。なぜか他の電気機関車はEDなのに、この電気機関車だけがロコを名乗っていました。ロコはこの車両が出生時から名乗っていた形式ですが、この車両は元阪和電鉄(現JR阪和線)が開業時に発注した入換用の凸型30t機でした。阪和電鉄は後に国鉄に買収され、この車両も買収電機となりますが、1949年に近江鉄道に貸し出され、そのまま1951年に譲渡されました。この電機は回生ブレーキ付きの一風変わった車両でしたが、近江鉄道でも入換専用車となり、本線貨物に充当されることはありませんでした。形態的にはキャブの出入り口が妻面にあるので、ボンネットが前後で非対称位置に配置されており、後に日本セメント上磯工場専用線に納入された日本車輌(東洋電機)製の6号機にも通じるものが伺えます。

(注1)ロコ1101の車歴

・近江ロコ1101←国鉄ロコ1101←阪和ロコ1101:1930年日本車輌(東洋電機)製

 

3.ED4001 (彦根:1991年9月)

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 さて、彦根の車庫は現役の車両以外にも廃車になった貨車まで多数留置されており、非常に写真が撮り辛い状況でしたが、電車に埋もれて珍しいEE製の舶来機であるED4001(注2)がいました。この機関車は、なぜか東武鉄道からやって来た箱型デッキ付きの50t機です。なにやら電力消費が異常なほど多く、まともに使用できなかったとかで、東武時代は入換機となっていましたが、1973年に近江鉄道が譲受し石灰石輸送に充当されました。その後、近江鉄道が貨物輸送をやめて、他の電機共々失業してしまい彦根で留置状態が続いていました。ところが、後に東武鉄道がこの電機を引き取り、現在は東武鉄道博物館で保存されています。先日、近江鉄道が車両保存をギブアップしてしまい、貴重な古典電機が消えて行きましたが、このED4001は一番幸せな車両です。

(注2)ED4001の車歴

・近江ED4001←東武ED4001←東武ED101:1930年英国EE製

 

4.ED314 (彦根:1991年9月)

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 このグロテスクな電機は、元伊那電鉄(現JR飯田線の一部)が導入した凸型40t機のED31(注3)です。これまた珍しい石川島造船所(車体)と芝浦製作所(電機品)の合作で、国産の黎明期の電機です。当初は6両が製造され、伊那電鉄が国鉄に買収された以降は買収電機となりますが、その後各地に売供され、その際に近江鉄道には1955年にED313,315、1957年にED314が入線しました。さらにその後、西武鉄道に売却されたED311,312も1960年に近江鉄道に譲渡されたので、結局近江鉄道にはED316以外の5両が集結しました。ちなみにED316は上信電鉄に譲渡されましたが、ED316は上信電鉄入線時に箱型に改造されて原型を留めませんでした。

 

5.ED312 (彦根:1991年9月)

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 ED31は、一般貨物輸送用に活躍しましたが、これも貨物輸送廃止後はすべて失業となり、1991年時点で稼働状態だったのは、ED313,314の2両でした。

しかし、このED31形はこの時点で廃車となっていたED315を含む全5両共ほとんど原型を留めており、奇跡的な状況でした。

(注3)ED31形の車歴

・近江ED311,312←西武No.1,2←国鉄ED311,312←国鉄デキ1,2←伊那デキ1,2:1923年石川島造船所・芝浦製作所

・近江ED313,314,315←国鉄ED313,314,315←国鉄デキ3,4,5←伊那デキ3,4,5:1923年石川島造船所・芝浦製作所

 

6.ED144 (彦根:1991年9月)

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そして、近江鉄道にはもう一形式舶来機がいました。それがED14形(注4)です。
ED14形はアメリカのGE製で、国鉄東海道本線の東京~国府津間電化時に4両購入した箱型デッキ付き60t機です。その後、ED14形は東海道から飯田線仙山線に配転され、1960年代に廃車されましたが、全車が近江鉄道に引き取られて石灰石輸送に充当されました。しかし、近江鉄道の貨物輸送廃止後はこの電機も失業状態でした。
(注4)ED14形の車歴
・近江ED141~144←国鉄ED141~144:1926年米国EG製

 

7.D340、ED143 (彦根:1991年9月)

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 近江鉄道の機関車はELばかりと思っていましたが、DLもいました。
これは、多賀にあるキリンビールの製品輸送のため導入されたもので、1991年時点ではすでに鉄道によるビール輸送が廃止されていましたが、形式の異なる3両のDLが残存していました。
写真の左側の車両がその中の1両で、D35形D304(注5)と言う元八幡製鉄所の凸型35t機です。1978年に当時の本務機であったDD451の予備機として導入され、1990年に廃車になっていました。
(注5)D35形D340の車歴
・近江D340←八幡製鉄35DD-9形340:1963年日本車輌

結局、近江鉄道の機関車は失業後も解体されることなく全車が彦根で待機状態となり、長らく彦根構内はお宝の溜まり場となっていました。