ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第662話 1992年岳南:貨物が頼りだった頃(その2)

この頃の岳南鉄道は、まだ貨物輸送主体の鉄道だったように思います。もっとも貨物輸送のために開業した路線なので当然です。しかし、国鉄の貨物合理化の煽りや荷主様の都合で、バブル期とは言え、かつて程の活気はありませんでした。

 

1.ED402 (比奈:1992年2月)

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 この日は、冬晴れの清々しい天気で、素晴らしい富士山が拝めました。しかし、貨物列車の時刻を確認して来なかったので、いつ貨物列車が来るのかさっぱり分からず、適当に待っていたら、茶色の機関車がワムを連れてやって来ました。

 

2.ED402 (比奈:1992年2月)

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 牽引機はED402でした。欲を言えば旧型機に来て欲しかったのですが、この頃の貨物輸送は主力であるED40形2両で十分で、予備車になっていた古典機はほとんど登場しませんでした。

 

3.ED402+貨物列車 (比奈:1992年2月)

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 このED40形(注1)は、もともと松本電鉄梓川電源開発の資材輸送用に導入した機関車でした。その電源開発工事が終わり、この機関車が余剰となったため、1972年に岳南にやって来ました。

(注1)ED40形の車歴

・岳南ED402←松本ED402:1965年日本車輌

・岳南ED403←松本ED403:1966年日本車輌

 

4.ED402+貨物列車 (比奈:1992年2月)

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 岳南鉄道の貨物輸送は、沿線の製紙工場で生産される紙製品やパルプ、薬品類でした。しかし、紙製品の輸送量が減少気味で、徐々に電気機関車の数も減っていました。

 

5.モハ5001+クハ5101 (岳南富士岡:1992年2月)

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 貨物列車の撮影後、岳南富士岡の車庫へ古い電気機関車を見に行きました。

まずは、検査入場中の5000系トップナンバーが出迎えてくれました。

 

6.ED291 (岳南富士岡:1992年2月)

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 そして、陽の向きが残念なED291(注2)です。ED291は元豊川鉄道の買収電機です。国鉄時代にED291を襲名し飯田線で使用されていましたが、廃車後の1959年に岳南にやって来ました。両端デッキ付きの40t機ですが、非力なため専ら入換機だった様です。頑丈な側梁に張り付く菱型の配管が特徴的でした。

(注2)ED29形291の車歴

・岳南ED291←国鉄ED291←豊川デキ52:1927年日本車輌

 

7.ED501 (岳南富士岡:1992年2月)

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 さらに庫内には、凸型40t機のED501がいました。

ED501(注3)は現上田電鉄の前身である上田温泉電軌の北東線開業時に新製された電気機関車ですが、パワー過剰で一時期小田急に貸し出され、廃車後は名鉄へ渡り歩きましたが、その後岳南鉄道が昇圧時に名鉄から借用したまま居座ってしまった車両です。岳南に正式に移籍したのは1970年です。

(注3)ED50形501の車歴

 ・岳南ED501←名鉄デキ501←上田デロ301:1928年川崎造船

ED291、ED501は、古風な機関車ではありますが、あまり目立たず、非常に地味な存在でした。もう少し前であれば、ED281、ED321やED103などが在籍していましたが、時すでに遅しでした。なお、ED103は元々大井川鉄道電気機関車でしたが、1970年に岳南に転じ、その後貨物輸送減少の為、1986年に再び大井川に出戻りました。