ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第244話 1988年栗原:運ぶものがない!!

1988年のGWは東北地方のローカル私鉄早回り撮影を行いましたが、その一番最初の訪問は栗原電鉄でした。

栗原電鉄には、この前年の秋にも訪問しており、わずか半年後の訪問となりましたが、その理由は、栗原電鉄の春の光景を撮影したかったからです。栗原電鉄の沿線は鶯沢あたりまでは広大な田園地帯です。ちょうどGW頃が田植えの季節で、タイミングが良ければ水田に列車を映して走る光景が撮影できると思ったからです。

半年前の秋の様子は第21~23話をご覧下さい。

 

1.ED351+DB101 (石越:1988年5月)

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 この撮影旅行は、前日の夜に上野から夜行の臨時急行いわて号で出発しました。当時、東北新幹線は盛岡まで開通していましたが、まだまだ夜行列車は健在で、GWなどは臨時列車も多数ありました。ちなみに急行いわて号は12系客車で、冷房は付いていますが、座席は4人掛けのボックスシートで満席でした。

 

2.ED351+DB101 (石越:1988年5月)

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 早朝の石越に着いて、先ず目に入ったのは栗原電鉄の石越構内の外れに止まっていたED351とDB101でした。この機関車が留置されている場所は、かつて貨物輸送を行っていた頃の国鉄との貨物授受線です。

 

3.DB101 (石越:1988年5月)

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 DB101は、まさに貨車の授受を行っていた入換機でしたが、ED351ともども貨物輸送が廃止されたのに、なぜここにいたのが不可解です。

 

4.DB101+ED351 (石越:1988年5月)

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 DB101は小型のディーゼル機関車です。貨車の授受にDB101が必要だったわけは、栗原電鉄がDC750Vだったのに対し、東北本線はAC20000Vなので、電気機関車での貨車の授受ができなかったためです。

 

5.DB101+ED351 (石越:1988年5月)

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 この写真は、石越駅から貨物授受線方向を撮影したものです。線路が左に分岐していますが、左方向が細倉方面への本線で、正面が貨物ヤード、右方向の分岐が授受線です。

写真をよく見ると、機関車の左側にレールが山積されていますが、このレールはかつてヤードに敷設されていたものと思われます。なんだか、店じまい前の身辺整理をしている様です。

 

6.ED351+DB101 (石越:1988年5月)

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 ED351の向こう側がJR東北本線です。

ちょうどコンテナ列車が石越を通過しているところですが、もうJRの貨物列車はここには止まりません。なぜなら、運ぶものがない!!からです。