「運ぶものがない!!」 まさにこの機関車たちの叫びです。
1.ED201 (若柳:1988年5月)
若柳の車庫にはED200形が3両留置されていました。
この機関車たちは、細倉鉱山が閉山された1987年の貨物輸送廃止に伴い、実質失業となりました。
2.ED201 (若柳:1988年5月)
この時点ですでにED202,203は廃車となっており、ED201だけが現役でしたが、唯一の仕事は車庫の入換程度でした。
3.ED201、ED203ほか (若柳:1988年5月)
ED201とED203は塗装も新しく、いずれも状態は良い様でしたが、ED203は1987年に廃車されていました。
4.ED202、ED203 (若柳:1988年5月)
ED202は一足早く1983年に廃車されており、この車両だけは塗装もボロボロになっていました。しかし、このED202を含む3両は現在も地元で保存されています。
5.ワフ74+ト102+ト103 (若柳:1988年5月)
若柳の貨物ホームには、車籍のある貨車が留置されていました。既に貨物輸送はないので保線や救援用に残されたものと思われます。
6.ワフ74+ト102 (若柳:1988年5月)
ワフ74(注1)は1959年に西武鉄道から譲受した緩急車です。同形の車両が改軌時にも3両西武鉄道から譲受され、全部で4両在籍しました。いずれも線内貨物専用車で米の輸送に使用されていましたが、最後まで残ったのがワフ74でした。
ワフ74の後ろに連結されている無蓋車はト102、ト103(注2)です。この車両も改軌時の1955年に西武鉄道から譲受したもので、当初はト101を含む3両が在籍しました。この無蓋貨車は明治製の強者で、鉄道省が播但鉄道から買収したものです。
(注1)ワフ7形の車歴
・栗原ワフ74←西武ワフ16←武蔵野ワフ?:1914年天野工場製
(注2)ト10形の車歴
・栗原ト102,103←西武ト75,76←省ト3378,3379←播但ト?:1907年日本車輌製
栗原電鉄はその後も親会社の恩恵で生き延びますが、やがて第3セクター化され非電化となります。結局、第3セクターも耐え切れずに廃止に追い込まれてしまいますが、やはり元が鉱山鉄道なので、その鉱山がなくなった時点で使命を果たした感じでした。