ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1370話 1995年高松琴平:志度線の凸凹編成を撮る(その4)

この日の高松も真夏の強烈な陽射しが照り付けました。橋の上は日影がなく、照り返しで相当日焼けしましたが、満潮の春日川河口が多少の涼しさを感じさせました。陽の向きがどんどん移動するので、こんどは春日川の道路橋を渡って、高松側の土手に降りました。

 

1.65+850 (春日川~潟元:1995年8月)

志度線の春日川橋梁同様に長尾線にも華奢な橋梁があり、それが理由で長尾線にも大型車が入線出来ませんでした。志度線の春日川橋梁が架け替えられたら、次は長尾線の方も架け替えになりますが、志度線長尾線とも橋梁の架け替えが完成後は大型車が導入されました。

 

2.345+230 (春日川~潟元:1995年8月)

結局、850も230も志度線に封印されたまま最後を迎えることになります。個人的には230と長尾線の67の2連を見たかったですが、それは無理でした。

 

3.345+230 (春日川~潟元:1995年8月)

ところで、345に広告が付いているのが気になります。これまで琴電で広告付きの車両を見たことがありませんでした。それほど目立つ広告ではないので、まずは静観ですが、とうとう琴電も広告電車を始めたのでしょうか。

 

4.27+28 (春日川~潟元:1995年8月)

今度は正面寄りで撮ってみましたが、この角度では架け替えの終わった新しい橋梁部分がモロに写ります。新しい橋梁はかなり頑丈そうですが、これでは電車の足回りが隠れてしまいます。

 

5.65+850 (春日川~潟元:1995年8月)

架け替え工事は、橋脚を造ったら桁を架け替える工法の様です。列車の運行を止めずに行っている様なので、小刻みに進められている様ですが、ここで撮影ができるのは、あとどのくらいなのか?

 

6.65+850 (春日川~潟元:1995年8月)

この凸凹編成には全く似合わない橋梁になりそうですが、この橋の完成は、凸凹編成の終焉を意味します。

この日の撮影では、レアな車両が結構撮れたのでとても満足でした。結局撮影できなかったのはクハの81とモハの72、20形でした。その後、あっという間に橋が架け替えられてしまい、これらの車両はもうこの場所では撮影ができませんでした。