ところで、今回の琴電訪問では大きな変化がありました。
それは瓦町折返しだった長尾線の列車が高松築港まで直通するなど、運行形態が変わっていました。これは、瓦町駅の改良工事が始まったことによるもので、この訪問の2週間前から実施されたばかりでした。
1.870+750 (西前田~高田:1994年7月)
そして、志度線が本線から分離されて瓦町折返しとなりました。これ以来、現在もこの運行形態は変わっていませんが、この志度線分離によって、それまで車両が共通運用だった長尾線と志度線は、車両もそれぞれに割り振られてしまい、線路も分断されたことで、志度線に配置された車両は、もう長尾線を走ることはありませんでした。
2.500+120 (西前田~高田:1994年7月)
志度線の分離は、この撮影に来るまで全く知りませんでした。そして、志度線の路線が完全に分断されていることを知ったのは、翌日に志度線の撮影に出向いた時でした。ちなみに、両線の配置車両は下記の通りでした。
(長尾線所属)
30形:25+26,33+34,35+36
1000形:100,120,130
3000形:300,315,325
5000形:500,510
750形:750,760
その他:62,67,71,860,870,880
(志度線所属)
30形:27+28,29+30,31+32,37+38
300形:335,345
20形:21,22,23,24
その他:65,72,81,230,850,890
3.26+25 (西前田~高田:1994年7月)
志度線分離で30形は両線に分散されました。長尾線には3本の30形が残り、そのうちの25+26は前面貫通車で、残りの2本は非貫通車でした。志度線には4本の30形が配置されたので、長尾線は志度線よりも30形が運用される本数は少なくなりました。
4.36+35 (西前田~高田:1994年7月)
しかし、この日の長尾線は3本の30形が運用されていたので、やはり30形の撮影頻度が多かったです。
5.500+120 (西前田~高田:1994年7月)
3000形も両線に分散されましたが、1000形と5000形は全車長尾線所属となりました。しかし、20形は全車志度線所属なので、全形式を見るためには、両線を訪問しなければなりません。
6.870+750 (西前田~高田:1994年7月)
長尾線と志度線の車両の割り振りは、どのように決められたのかわかりませんが、雑多なクハが志度線に集結された感じです。志度線のクハは走るチャンスはあるのか?しかしこの日は、そんなことを知る由もなく、長尾線で日没まで撮影を続けました。