ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第477話 1993年高松琴平:旧型車依存症候群(その9)

この春日川も鉄橋の改修で現在はこの様な写真が撮れなくなりました。鉄道存続のために設備改修は必要なので仕方ありません。そして橋梁が新しくなったので、志度線に大型車の入線が可能となり、現在は小型車の必要性もなくなりました。

 

1.28+27 (潟元~春日川:1993年12月)

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 ここに来るたび、毎回同じような写真を撮っています。しかも、いつも30形です。やはり多くの車種を撮影するためには、平日のラッシュ時を狙わないと意味がありません。

 

2.38+37 (潟元~春日川:1993年12月)

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 この写真は、上の写真2の連写のように見えますが、違う列車です。何か変化が欲しいところです。

 

3.38+37 (潟元~春日川:1993年12月)

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 今度は少し角度を変えて、並行する道路橋から列車の側面を撮影です。ところで、この鉄橋の橋脚には、露骨に補強が入っている箇所が見られましたが大丈夫なのか?。やはり老朽化の様で、これでは大型車が渡れないのもうなずけますが、なんとかしないと、小型車でも危なそうです。

 

4.32+31 (潟元~春日川:1993年12月)

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同じ列車を繰り返し撮っていますが、実は1本だけ走っていた20形2連を待っていた間に撮影したものです。20形がなかなか現れません。もう入庫したのか?

 

5.38+37 (潟元~春日川:1993年12月)

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 志度線の運用は、志度行と途中の八栗で折り返す列車が交互に運転されていたので、八栗折返しの運用に入っていた30形の通過頻度が多くなります。この時、運用されていたのは4列車で、そのうち30形が3本でした。

 

6.22+21 (潟元~春日川:1993年12月)

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ようやく待望の20形がやって来ました。非常に撮影効率が悪かったですが、この日はこれを撮影したら終わりです。まだ昼すぎですが、この後は高松駅前で「讃岐ラーメン※」を食べて、岡山経由でまじめに東京へ戻りました。

※讃岐ラーメン

話しが脱線しますが、「讃岐ラーメン」とは私が勝手に呼んでいたもので、高松駅前にあった「ごんな」と言うラーメン屋のラーメンです。琴電を訪問するたびに食べていました。うどん文化の高松でラーメンを食べる私はかなりひねくれ者なのか?

たしか、普通のラーメンである「うまいぶん」と、多少具がゴージャスな「ええぶん」と称する看板メニューがあり、しょうゆベースのラーメンだったと記憶しますが、これと「鶏めし」を一緒に食べるのが結構イケてました。うどん文化の高松において、孤軍奮闘するラーメン屋さんでしたが、いつのまにかなくなったそうです。

 

さて、先日琴電の動態保存されていた旧型車達がとうとう引退してしまいました。私はこれだけ琴電の旧型車を追いかけ回していたのに、動態保存車の走行写真は1枚もありません。と、言うか、もう20年以上も琴電に出向いていません。なくなってしまうと、残念ですが、やはりイベントで走る姿よりも、日常の姿を撮り歩き、何かを発見することが私の趣味でしたので、最後を見送れなかったことは仕方ないことと諦めています。