ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

号外2025.09.11:鶴見臨港99周年(その8)

今回は武蔵白石駅から大川支線の方に向かいます。ご存知の通り、この武蔵白石駅は、大川支線の分岐駅です。かつて大川支線の起点駅でしたが、現在の大川支線の電車は武蔵白石には止まらず、大川支線の起点は安善駅です。そうなってしまった理由は、大川支線の20m車導入でした。武蔵白石駅の大川支線ホームは曲線上にありましたが、それまで17m車のクモハ12形で運用されていたので問題はなかったのですが、この曲線を20m車が通過するためにはホームの撤去が必要になったためです。クモハ12形時代の武蔵白石駅の大川支線ホームの様子は第615話をご覧ください。

 

1.武蔵白石駅大川支線連絡線 (武蔵白石:2024年6月)

写真1の右へカーブする線路は、鶴見線から大川支線へ出入りする連絡線です。現在大川支線の列車はすべて鶴見線直通です。よって、大川行の列車はこの連絡線を通るために鶴見線の上り線を逆行します。

 

2.武蔵白石駅大川支線ホーム跡(武蔵白石:2024年6月)

写真2は武蔵白石駅構内から大川支線の元ホームがあった辺りを撮影したものです。右側のカーブする線路が大川支線で、手前は貨物線です。このカーブの左側に大川支線のホームがありましたが、20m車導入時にホームが撤去されて、カーブも緩和されました。

 

地図1.大川支線周辺図(引用:国土地理院1/10000地形図「扇島」昭和60年発行)

地図1は昭和60年頃の大川支線周辺図です。この頃の大川支線は、まだ17m車のクモハ12形が走っていました。朝夕のラッシュ時には武蔵白石~大川間の1駅間をクモハ12形の単行がピストン運行されていました。そして、大川支線の周辺には多くの引込線が存在しており、わずか1㎞程の路線ですが、貨物輸送も盛んに行われていました。

 

地図2.武蔵白石~浜川崎・大川周辺図 (引用:国土地理院1/25000地形図 GSI Maps)

地図2は現在の大川支線周辺図です。現在の大川支線は沿線に引込線はなく、貨物輸送を行っていません。電車の運行も朝と夕方のみで日中は走っておらず、休日は1日に3往復しか走っていません。そんな路線を残しておく必要があるのか疑問ですが、朝は結構混んでいるのでビックリしました。

 

3.大川支線軌道 (大川~武蔵白石:2024年6月)

ここは大川支線の途中にある日本道路の正門前の踏切から武蔵白石方向を撮影したものです。大川支線は並行して道路がありますが、踏切以外はフェンスが設置されており、列車が撮影できる場所がほとんどありません。

 

4.大川支線軌道 (大川~武蔵白石:2024年6月)

写真4は、写真3を撮影した踏切の反対方向を撮影したものです。前方には唯一列車の撮影場所である大川橋があり、その先には大川駅が写っています。正面はかつて引込線が入っていた日清製粉の工場です。

 

5.E131系1000番台3連 (大川~武蔵白石:2024年6月)

踏切から朝の通勤列車を後追い撮影しました。通勤路線とは思えない、なんとも不思議な雰囲気です。

 

6.大川橋バス停 (大川~武蔵白石:2024年6月)

写真6は大川橋のバス停です。大川支線は日中は電車が走っていませんし、終電も早いので不便そうですが、並行する路線バスは休日も1時間おきに走っており、ラッシュ時にはそれなりの運行本数もあり便利です。しかし、電車は鶴見行ですがバスは川崎駅行です。

 

7.大川橋 (大川~武蔵白石:2024年6月)

大川橋は列車の撮影ポイントですが、今回は気になるものを見つけたので、こんな撮影をしました。ガーダーの側壁を見ると虫に食われた様な穴がいくつもあいていますが、これは第二次世界大戦で米軍の機銃を受けた痕跡だそうです。橋梁の強度には問題ないのでそのままになっている様ですが、こんなところに戦争の爪痕があるとは思いませんでした。

つづく