ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

号外2024.06.04:浜安善を歩く

今年の3月にJR鶴見線の新車131系を見に行った際、久々に鶴見線を大川まで乗車しました。その時の様子は、号外2024.04.06~でお伝えしましたが、正直、新車のことなどどうでもよかったわけでして、鶴見線沿線の専用線がどうなっているのか大変気になり、GWのちょっと前に再び鶴見線を訪問しました。この時は、海芝浦と扇町へ出向きましたが、そのあと、浜安善へ向かいました。・・・と、いうことで、今回はまた号外です。

 

1.浜安善支線沿線の地図 (引用:国土地理院1/2500地形図 GSI Maps)

上図は、鶴見線安善から分岐する貨物線(旧浜安善支線)が表示された現在の地形図です。今回は現在の浜安善支線(便宜的に浜安善支線と呼ぶことにします)の実態を確認するため、安善駅から浜安善に向けて歩きました。

浜安善支線の開業は、1926年の鶴見臨港鉄道開業の頃まで遡ります。路線長は、わずかに1.1㎞程で、かつて旅客営業を行っていた時期もある鶴見線の支線でしたが、国鉄の貨物合理化のあおりで、支線から安善駅構内の側線に格下げされており、現在は沿線の企業へ分岐していた専用線もなくなり、米海軍の貯油所に出入りする石油輸送のタンク列車だけが細々と運用されています。この路線の開業当初は石油支線と呼ばれていたそうで、終点の「浜安善駅」は「石油駅」と称していました。それだけ石油輸送に重点が置かれた路線だったそうです。このあたりの経緯は、渡辺一策さんが執筆されたRM LIBRARY 124「鶴見線貨物回顧」にまとめられており、私も参考にさせて頂きました。

 

2.浜安善支線の撮影ポイント

上図は、今回の撮影ポイントを示したもので、〇番号は以下の写真番号を示します。

 

① 安善駅の131系 (安善:2024年4月)

まずは安善駅の様子です。まだラッシュ時だったので、鶴見線は列車本数が多く、安善駅では上下列車の並びが撮影できましたが、この電車では感動の欠片もありません。

 

② 安善駅構内のタンク車ヤード (安善:2024年4月)

そして、振り向くとタンク車が留置されていました。この時間はモロに逆光です。このヤードの向こうはフェンス越しに米海軍貯油所の設備が見えます。留置中のタンク車は、その貯油所に出入りする、いわゆる「米タン」です。運が良ければ、このタンク車が浜安善支線を走るかもしれません。

 

③ 安善駅構内を横断する道路の踏切 (安善:2024年4月)

安善駅を出て鶴見線と貨物ヤードを横断する踏切を渡りました。ここから先は1991年以来33年ぶりです。1991年当時は、大川支線の運河を渡るクモハ12形を望遠撮影するために、安善橋まで歩きました。その時の様子は第808話をご覧ください。

さて、1991年当時はクモハ12形を追い掛けることに注力していたため、浜安善支線の写真が1枚もありませんが、その頃、この一帯は撮影禁止エリアだった様な気がします。特に、米海軍の施設などむやみに撮影したら捕まってしまいそうだったので、写真がないのかも・・・。

しかし、現在は撮影禁止の表示は見当たらず、せいぜい立入禁止の看板程度です。これをどう解釈すべきか?。もっともネットではグー〇〇アースやスト〇ー〇ビューなど、秘密基地も丸裸状態です。今さら隠すモノがあるのか?。よって、今回は個人的な判断ではありますが、一般常識と思われる範囲で撮影を行いました。

 

④ 浜安善支線のカーブから安善駅ヤード方向を臨む(安善一丁目:2024年4月)

さて、浜安善までの撮影ですが、コンプライアンス遵守の世の中なので、線路を歩くわけにはいきません。幸い浜安善支線に沿って歩道付きの立派な道路が並行しており、線路を歩くことなく終点まで踏破できました。この写真④は安善駅のヤードから浜安善支線が南方へ90度カーブして道路沿いに出てくる場所からヤード方向を撮影したものです。写真の右側のフェンスの向こうは米海軍の貯油所(エリア1)です。

 

⑤ 貯油所引込線分岐部(安善一丁目:2024年4月)

写真⑤は写真④から200m程先の米海軍貯油所(エリア1)に入る引込線の分岐です。ここでタンク列車はスイッチバックして貯油所に入構します。貯油所には2本の引込線があり、その先には石油の積込設備が見えます。遠くに緑色のタンク車が見えますが、これは貯油所内ではなく、安善駅のヤードに留置されているタンク車です。

 

⑥ 浜安善支線と貯油所引上線(安善一丁目:2024年4月)

写真⑥は線路が複線になっていますが、右側の線路は貯油所内のタンク車入換用の引上線と思われます。なぜ、フェンスの外に出ているのか?

 

⑦ 貯油所正門前の踏切(安善一丁目:2024年4月)

写真⑦は踏切ですが、この右側は貯油所の正門の様です。守衛所もあり、さすがに正門の撮影は遠慮しました。

 

⑧ 貯油所横の浜安善支線(安善一丁目:2024年4月)

写真⑧は、もう一つ先の踏切から安善駅方向を望遠撮影したものです。貯油所へ分岐する2本の引込線と引上線の様子がわかります。

 

⑨ 貯油所横の浜安善支線(安善一丁目:2024年4月)

写真⑨は写真⑧と同じ場所から標準撮影したものです。右側の貯油所はここまでですが、浜安善支線はこの先にある、もう一つの米海軍油槽所(エリア2)へ続きます。

 

⑩ 浜安善支線の終点を臨む(安善一丁目:2024年4月)

写真⑩は、写真⑨の撮影場所から振り向いて浜安善方向を望遠撮影したものです。この向きは逆光ですが、この写真の先に写る、線路両側の青い構造物は安善橋のガーダーです。

 

⑪ 安善橋から安善駅方向を臨む(安善橋:2024年4月)

写真⑪は、安善橋の橋上から安善駅方向を撮影したものです。左側の道路には結構歩いている人がいました。もう通勤時間帯を過ぎていましたが、この沿道にある企業に勤めるパートさんの様です。この道路には横浜市交の路線バスが走っていますが、安善駅から歩く人が結構います。

 

⑫ 安善橋から大川橋を臨む(安善橋:2024年4月)

写真⑫は、安善橋の上から運河の東方向を撮影したものです。午前中なので逆光ですが、前方には大川支線の大川橋が写っています。1991年頃、ここから大川支線のクモハ12形を撮影しました。もう33年も前のことです。

つづく。