いったい、このブログはいつまで続くのか?。
こんなに続けるつもりはありませんでしたが、今回1300話の節目となりました。とりあえず今回も通過点ですが、恒例となった100回節目の番外編なので、ローカル線ポリシーを脱して「ガチで阪急」です。
さて、大手私鉄に興味がない私ですが、1987年にガチで阪急を撮っていました。ローカル線の回顧を目的とした当ブログでは、以前、第1203話~第1205話で阪急嵐山線の2800系の終焉間近の様子をお伝えしていますが、本線を疾走する阪急電車など、このブログに登場する理由がありません。しかし、番外編に免じて、37年前のコテコテの阪急電車をご覧ください。
1.2250編成8連 (夙川:1987年8月)
ここは夙川。いきなりものすごいスピードで登場したのは2200系でした。この頃の夙川駅は特急が停まらない駅でした。よって、特急は容赦なく通過して行きます。ところで、2200系?と、思われる若い方も多いのではないでしょうか。その通り、これはレアな電車です。1975年に誕生した阪急における電機子チョッパの試作車として、1本だけ製造されました。同期の京都線6300系の陰に隠れて目立たぬ存在でしたが、以降この電車の顔は6000系、7000系へと展開され、阪急電車の顔となりました。その後はVVVF車の試験車となり、2200系は発展的消滅を遂げましたが、私はこの電車の功績を皆さんにもっと広く知ってもらいたいと思います。
2.7012編成8連 (夙川:1987年8月)
そして、2200系と同じ顔をした、この当時の新鋭だった7000系です。この頃はまだマルーン一色で、変な整形手術も受けておらず、6000系ともども清楚な印象でした。ところで、どうして夙川で阪急電車を撮影したのか、その理由は、幼少の頃、私はこの近くに住んでいたので久々に夙川を尋ねてみたわけで、電車の撮影は予定にありませんでしたが、2200系の登場でスイッチが入ってしまいました。
3.7009編成8連 (夙川~芦屋川:1987年8月)
かつて住んでいた街をフラフラ歩いて、結局こんな写真を撮っていました。私は前パンでこの角度の阪急電車が好みです。
2200系は電機子チョッパの試作車でしたが、時期尚早だったのか6000系は抵抗制御となり、期待の7000系は界磁チョッパが採用され、2200系の電機子チョッパは報われずにVVVFの試験車へ移行しました。
4.5203編成8連 (夙川~芦屋川:1987年8月)
続いて屋根が少し深い5200系です。良き時代の行き先表示板付きの阪急電車です。特急なので、ものすごいスピードでブッ飛んで来ました。実はこの他にも5000系、3000系等々も撮りましたが、スピードが速すぎてみなブレて失敗!!。日頃ローカル線ばかり追い掛けているので、どうも感覚が掴めません。
5.6003編成8連 (十三:1987年8月)
結局、神戸線は諦めて十三へ。ここで京都線に乗り換えですが、その前に宝塚線の6000系です。これは回送でした。陽の向きが何とも中途半端で半逆光ですが、マルーンの電車なので気になりません。
6.6003編成8連 (十三:1987年8月)
これは、後追い撮影です。この写真の前方をよく見ると、この列車の先のレールがありません。これはどうなっているのか?。どうやら列車は左に反れて先頭まで見えていない状態です。この頃宝塚線は高架工事の最中だったようです。