ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1160話 1995年能勢:阪急電車をいじる(その2)

今回は前話から5年後の1995年の能勢電です。この5年間で能勢電は大きく変わっていました。すでに吊掛車はいませんでした。そして、謎の「妙見フェスタ」・・・・。

 

1.1000系 (平野:1995年8月)

相変わらず、平野車庫はギュウギュウ詰めでしたが、この電車は一体どういうことなのか?変わり果てた1000系に絶句!!

 

2.1000系 (平野:1995年8月)

あの1000系が悪夢に出て来そうな妖怪の表情です。これは「いじり過ぎ」です。「妙見フェスタ」の一時的なイベント塗装なのか?妙見の山中で、とうとう元阪急の名車は、能勢の謎車になってしまった様です。

 

3.1000系、1550他 (平野:1995年8月)

ゲゲッ、思わず嗚咽が・・・。なんとオレンジのオートカー・・・。私の阪急電車のイメージがみごとに崩れ去りました。

 

4.1753,1555他 (平野:1995年8月)

さらに、こんなのも・・・・。すでに610系はいません。代わりに1700系4連が9編成増備されていました。1700系は元阪急2000系で、見た目は1500系と全く同じです。一気にオートカーが増えてしまい、まさしく阪急能勢線になってしまうところでしたが、能勢電さんはそれを恐れてか、マルーンを排除してしまった様です。

 

5.1704+1784+1734+1754 (山下:1995年8月)

1700系のこの編成は、この年に2分割されて6連に組替えとなり、いよいよ能勢電も6連運転が始まります。もはや能勢電はローカル線ではありません。

 

6.1503+1583+1533+1553 (多田~平野:1995年8月)

やっぱり、この電車はマルーンが一番です。

かつての阪急電車も、ここまでいじられては、プライドも何もあったものではありません。なんだか腹が立ってきたので、この日は撤収しました。

ところが、その後の能勢電は、阪急から何か要請でもあったのか、さもなければ反省されたのか、再びマルーンに戻り、現在に至ります。あの頃のクリームやオレンジの阪急電車は悪夢だったとしか思えません!!。