前回から突然南海電車の初代ズームカーの話題になってしまいましたが、私にとって南海電車は本当に縁のない電車でした。しかも関西の大手私鉄では非常に地味な存在で、他社が話題性ある新車を登場させるなか、どうも土俵に乗っかれない感じでした。
そのイメージを払拭する良い機会だったのが関西空港への乗り入れだったと思います。確かにラピートはダサいイメージを払拭する起爆剤にはなりましたが、その頃既存車に波及したCI化は茨城交通湊線にも匹敵する困ったものでした。
1.21000系4連(新塗装)+22000系2連(新塗装) (白鷺:1995年8月)
その、困った代表がこの塗装です。この頃増備されていた1000系や2000系はさておき、6000系はまだ我慢出来ましたが、初代ズームカーにこの塗装とは、いったいどうなってしまったのか?
この頃はすでに新ズームカーである2000系がかなり増殖しており、21000系もあと数年で引退が見えていましたが、最後になってこの姿にガッカリ・・・。やっぱり、初代ズームカーはアオ虫色が一番似合います。できれば老い先短い21000系はアオ虫のままそっとしておいて欲しかったです。
2.21000系4連(新塗装)(九度山:1995年8月)
その後も21000系の新塗装車は増加しました。そうなるとアオ虫の21000系を追い掛けたくなるのが人情です。とうとうローカル線行脚から脱線してズームカーの追っ掛けが始まりました。
3.21000系4連(旧塗装)(紀伊清水~橋本:1995年8月)
この頃21000系は4連が5本在籍していましたが、その内アオ虫は2本残っていました。高野線の急行は30分間隔の運転で全ての列車が新または旧ズームカーだったので、撮影に出向けばアオ虫の撮影チャンスがありました。私が目を付けた撮影場所は、紀ノ川橋梁を越えた紀伊清水手前の一帯でした。橋本から先は20m車が入線できないのでズームカーオンリーとなります。
4.30000系4連(こうや号)(紀伊清水~橋本:1995年8月)
そして、撮影の副産物も・・・。かつて20000系の頃の「こうや号」は1編成しかなかったので、1日2往復で冬季は運休と言う手の抜き様でしたが、30000系は2編成になったので、冬季も運行され、多客期は2編成運用で4往復走りました。よって、走るかどうかわからないアオ虫に比べて撮影回数は確実に多く、どうしても写真が増えてしまいます。
5.30000系4連(こうや号)(紀伊清水~橋本:1995年8月)
ところで、この電車は1983年製ですが、1959年製の初代ズームカーと変わらず、抵抗制御車です。1983年と言えば、高周波分巻チョッパ制御の営団地下鉄01形試作車がデビューした年です。せっかくの新製特急車でしたが、主制御装置の方式転換の過渡期でタイミングが悪かったのか?
6.22000系2連(新塗装)+22000系2連(新塗装)(紀伊清水~橋本:1995年8月)
そして、これも副産物だった増結編成だけの4連です。この22000系にもアオ虫がいましたが、そもそも22000系は増結用なので、ほとんどが橋本で切り離されてしまい、ここまでやって来ないので、なかなか撮影チャンスがありません。まあ、湘南スタイルの21000系に比べれば味気ない貫通電車なのでどうでも良かったですが・・・。
7.21000系4連(旧塗装)(紀伊清水~橋本:1995年8月)
こんな回送列車もありました。日中は難波からの直通列車ばかりかと思っていましたが、1本だけ橋本発極楽寺行きの普通列車があり、車両は当然ズームカーですが、その折返しは回送で戻ってきました。この湘南顔に回送マークがなんとも言えない表情で、夢に出て来そうです。