ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1117話 1995年南海(高野):アオ虫を追い掛けろ!!(その4)

この年、新車の2000系が増備されると21000系は2編成が運用離脱し、その2編成は先頭車同士2連化され、22000系更新車同様にズームカー機能を外して支線用に転じました。4連の21000系はまだ5編成在籍していましたが、これも後2年の余命です。

 

1.21000系新塗装4連 (住吉東:1995年11月)

ここは住吉東です。近場で21000系の撮影をいろいろと試みましたが、あまり良い場所がありません。そんななか急行の追い越し線がある住吉東は、急行の撮影に適した駅でした。でも撮影したのはこの1枚だけでした。

 

2.30000系4連こうや号 (紀伊清水~橋本:1995年11月)

懲りもせず、また紀伊清水です。この頃になると陽の向きを考慮して午後から撮影に向かうようになりました。それでも、3時間くらいの間に15列車ほど撮影ができました。お目当てのアオ虫が撮れるかは、その日の運ですが、どうでもよい「こうや号」は必ずやって来ます。

 

3.21000系新塗装4連 (紀伊清水~橋本:1995年11月)

こうや号」の後は、困ったズームカーが来ました。しかし、その後は2000系が続きました。徐々に2000系が増えて来ましたが、2000系を撮影しても意味がないのでパス!!。

 

4.30000系4連こうや号 (紀伊清水~橋本:1995年11月)

2000系をパスし続けていたら、帰りの「こうや号」が戻って来ました。結構乗客が乗っています。この頃の高野山は、まだ世界遺産ではなかったので、南海電鉄が宣伝しているほどメジャーな観光地でもなかった様に思いますが、30000形の導入で「こうや号」が2編成体制となり、橋本までの複線化も完成して今までより便利になったので、観光客も増えた様でした。

 

5.21000系旧塗装4連 (紀伊清水~橋本:1995年11月)

この日もようやくアオ虫の撮影が出来ました。もう夕方なので、日の向きを考慮して側面主体の撮影となりましたが、背景に新興住宅街が写ってしまい、これは興覚めです。このあたりも宅地化が始まったようです。これも橋本複線化の波及効果なのか?

 

6.21000系旧塗装4連 (紀伊清水~橋本:1995年11月)

連写したのは、アオ虫の前半分です。先頭車のこのフォルムが、たまらなく昭和30年代を物語っていました。ちなみに、この電車は私と同じ歳です。私もこの電車と同じように古く見られていたのかも・・・。

 

7.21000系旧塗装4連 (紀伊清水~橋本:1995年11月)

戻りのアオ虫は日没間際でした。この日は午後からのズボラな撮影でしたが、アオ虫を十分に堪能できたので、大変充実した撮影となりました。