ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1159話 1990年能勢:阪急電車をいじる

いまや梅田へ直通特急も走る能勢電ですが、私が初めて能勢電に乗ったのは、5歳くらいの頃でした。その頃の能勢電は強烈なボロ電車だった様な記憶がありますが、すでに阪急電車姨捨山状態でした。あれから半世紀以上経ち、現在は阪急の一支線の様な存在となり、ローカル線とは言えなくなってしまいましたが、1990年に阪急の吊掛車を求めて、平野へ向かいました。

 

1.328(保存車) (平野:1990年8月)

平野で出迎えてくれたのは、元阪急電車の保存車である320形でした。この電車は阪急から広電に移籍した500系とは兄弟車なので、よく似ており、なんだか馴染みのある車両でした。この車両は阪急の神戸・宝塚線の昇圧で、お払い箱となるはずでしたが、ここぞとばかりに、能勢電がボロ電車淘汰のために一挙12両を引き取りました。阪急では小型車扱いでしたが、能勢電では初の大型車として1965年に導入され、恐らく私が初めて乗った能勢電は、320形だったのかも知れません。

 

2.328(説明板) (平野:1990年8月)

それにしても、唯一の保存車が元阪急電車とは、やはり能勢電は阪急の支線です。しかし、328は1986年に保存されたものの、この2年後にはあっけなく解体されました。ああ残念!!

 

3.667 (平野:1990年8月)

そして、お目当ての610系は車庫で昼寝中でした。それにしても見た感じは、そのまんま阪急610系です。この電車までは、古き良き阪急を彷彿させる能勢電でした。

 

4.665+639+614+654+615 (平野:1990年8月)

ところで、1990年当時の能勢電には、すでに阪急からオートカーの初期車が譲渡されており、吊掛車である非冷房の610系は日中ほとんど走らな状況でした。日中の平野車庫には610系が集結していました。この車庫は非常に狭く、こんな写真しか撮れませんでしたが、この頃の610系は5連で7編成在籍していました。

 

5.106 (平野:1990年8月)

さて、平野車庫にはお宝?が・・・・。これは、保線用に残された電動貨車の106です。ボロボロですが、一応車籍はありました。車籍上は1962年瑞穂工業製と言うことですが、実態は能勢電初のボギー車である大正時代に製造された31形35号を改造したそうです。

 

6.1502+1582+1532+1552 (多田~平野:1990年8月)

帰り道、平野車庫の脇で撮った唯一1枚の元阪急のオートカーです。この1500系は元阪急2100系です。阪急ではレアな車両でしたが、全車24両が能勢電に移籍しました。これまで能勢電は、阪急電車の形式をそのまま踏襲していましたが、この1500系と1700系は違いました。形式も変えて窓回りをクリーム色に塗ったのは、阪急との差別化を図るためだったのか?でもこの電車は、やっぱりマルーン一色が一番似合います。それでも、この時はマルーン一色の阪急電車をいじった能勢電に斬新さを感じました。しかし、その後は何を勘違いされたのか、由緒ある阪急電車を更にいじって大変なことになります。