ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第385話 1993年広島:ボロ電激変そして再会!!(その5)

この日は、広島に住んでいた頃を思い出し、路面電車の追っかけに夢中になってしまいました。路面電車の追っかけには自転車があると大変便利なのですが、なければ歩くしかありません。7月の広島は梅雨が明けて暑く、汗だくで電車を追い掛けました。

 

1.584 (江波~舟入南町:1993年7月)

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レトロな584を追って江波まで来てしまいました。江波には市内線の車庫があります。かつて江波車庫では、改造中の3000形を見せて頂いたことがありました。その頃の江波車庫には570形がたくさん配属されており、うんざりした記憶がありますが、たったの3両になってしまうとないがしろにはできません。

 

2.

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 3両目の587は、本川町でとらえることができました。陸橋の上からの撮影なので、屋根上が良く見えます。古い車両ですが屋根上の冷房装置とSIVは1987年に搭載した新しいものでした。

この車両の生い立ちは昭和初期にまで遡りますが、たった3両とはいえ、こんな古い車両を冷房化して営業投入していた広電には路面電車博物館の意地が伺えました。

 

3.584、1915 (十日市~本川町:1993年7月)

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 神戸市電京都市電のすれ違いです。こういう光景を見ていると、11年前が蘇りなんだか安心します。

 

4.1914 (紙屋町~立町:1993年7月)

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1900形は元京都市電です。京都から大挙して15両がやって来ましたが、1993年当時は全車バリバリの現役でした。広電に導入時、各車に京都にちなんだ愛称がつけられ、その後どの程度定着したか分かりませんが、愛称は継続していました。

1900形は京都時代からワンマン化されていたので、広電への導入に際してさほど改造はされませんでしたが、毎度の前面行き先表示大型化と、中扉の反戸袋側に位置する吹き寄せ部に乗務員用の小窓を設置しています。しかし、塗装は京都時代のままで、外観もほとんど変わっていないので、誰が見ても京都市電そのものです。

 

5.1903 (紙屋町~立町:1993年7月)

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 1900形は全車1957年製で、比較的新しい部類の車両です。この類の中古車が大量に入手できたことは、広電にとっては「棚から牡丹餅」だったはずです。

そして、1900形は冷房化も早かったです。1980年には2両が床下搭載の直流駆動式の冷房装置を試験採用したのが冷房化の先駆けとなりました。しかし、直流駆動式はこの2両だけに終わり、続く3両は分散式を2台搭載するタイプとなりました。写真の1903は分散式クーラー搭載車です。

 

6.1903 (天満町~小網町:1993年7月)

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 広電前行の元京都市電が来ました。

広電前とは、なにそれ?と思われる方も多いかと思いますが、これは宇品方面に行く3系統の電車で、途中にある「広電本社前」止まりの電車です。広電本社前には市内線電車の千田町車庫があり、広電前行の電車はほとんどが入庫します。

 

7.1914 (本川町~原爆ドーム前:1993年7月)

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 1900形の冷房装置の話題に戻りますが、分散式も3両のみに終わり、結局残りの10両は集中式となりました。写真の1914は集中式のクーラー搭載車です。

さすがに、1990年代になると路面電車にも冷房装置が当たり前になってきました。この当時広電で非冷房だったのは、予備車的存在だった元大阪市電の760形の一部とイベント車くらいで、運用車はほぼ100%が冷房車でした。