ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第386話 1993年広島:ボロ電激変そして再会!!(その6)

1993年時点、神戸市電京都市電の中古車は健在であることを確認しましたが、大阪市電を忘れてはいけません。

 

1.904 (福島町~西観音町:1993年7月)

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 広電にはかつて、36両もの元大阪市電が在籍していました。(宮島線直通車を除く)

そのうち、元大阪市電2600形だった900形は14両在籍し、1993年時点では全車が健在でした。この車両は大阪市電のニセPCCだった吊掛車ですが、1952年製で比較的新しい車両でした。大阪時代にワンマン化されており、広電に移籍した1969年当時はまだ広電がワンマン化されていませんでしたが、この車両の導入をきっかけに広電もワンマン化が開始されました。

 

2.913 (江波~舟入南町:1993年7月)

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 900形は冷房化された以外はほとんど大阪時代のオリジナルを維持していました。

この車両も以前は、前面の窓下に菱形の黄色い警戒塗装が施されていましたが、それがなくなり、大阪市電そのものになりました。

 

3.905 (福島町~西観音町:1993年7月)

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 さて、広電と言えば派手な広告車両を思い出しますが、1993年当時も相変わらず奇抜なのがいっぱいいました。思わずシャッターを止めたくなりましたが、久々の再会なのであえて撮りました。

 

4.772 (天満町~小網町:1993年7月)

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 老体に強烈な塗装ですが、有名な缶コーヒーの広告車でした。

ところで、この772は元大阪市電で一時は22両も在籍した750形の生き残りです。この車両の導入で広電は小型車を一掃するほどの大所帯でしたが、さすがに老朽化が進み1993年時点で7両になっていました。しかし772は、しっかり冷房化されており、サービス上は他車と遜色ありませんが、日中はほとんど見かけなくなっていました。

 

5.1153 (天満町~小網町:1993年7月)

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 この車両は元神戸市電だった1150形です。これも強烈な紅白塗装ですが、有名なコーラの広告車でした。コーポレート・カラーなのでしょうが、もうちょっと何とかならなかったのか?

ところでこの車両は、元神戸市電の最新鋭だったはずの「カルダン車崩れ」です。軽快電車よりも一世代前の、時期尚早の悲劇のヒーローだったことを忘れてはいけませんが、広電ではそんなことを知る由もなく、当初から吊掛車として1971年に7両が導入され、1993年時点も全車健在でした。

 

6.1152 (紙屋町~立町:1993年7月)

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 かつての優秀車両も屋根まで真っ黄色!!。

現在なら「幸せの黄色い電車」でしょうが、ちなみにこの電車は殺虫剤大手の広告車でした。害虫ばかりか人も寄り付かない程のインパクトです。

 

7.504 (小網町~土橋:1993年7月)

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 ようやく広電オリジナルの500形に会えましたが、これも全身真っ黄色だったので、また殺虫剤かと思ったらタウンページでした。しかし、500形にこの塗装はどうなのか?